四面楚歌

 

 

「半蔵さん、こりゃ、一体…どういうことです?」

 城から離れた伊賀忍の里に一時、足利義輝の身を隠し、公家と共に半蔵は城へと参内した。
彼は何も語らず―――身分を隠す為に服装を改めた―――公家が代わりに全ての事情を出迎えた左近へと話した。
左近は顔色を変えて、秀吉、三成にその旨を伝えに走った。
 人目を避けるように茶室に、商人に扮した公家を通し、半蔵にはの下へと行ってもらう。
やがて世の情勢を知った秀吉は、腹心の軍師竹中半兵衛を呼び、どうする事が最善なのかと問うた。

「困ったなぁ…。時の将軍がここで死んじゃったら、全部ちゃんのせいにされちゃうでしょ?」

「かといって手負いのまま都へは送れぬでしょう」

に義輝さんがいると分かれば、明智にいる義昭さんが黙っちゃいないですよ」

 半兵衛の愚痴を混ぜ返すのは三成と左近だ。
外で交わされる会話に聞き耳を立て、公家は息を呑み続ける。
 どうにか、この件が慈愛の姫の耳に入ることだけを、彼は願い続けた。
家臣には主家を立て、護りぬかねばならぬという道理がある。
護るためであれば、時の将軍とて容易に殺すだろう。
それを避けるには、無欲な姫に頼るしかない。
 だがその姫は、一向に姿を見せない。

『嗚呼、天よ…どうか、どうか…我らにお慈悲を…お目零しを下され…』

「ここは正直に伝えるしかないんじゃない?」

「そうじゃなぁ…」

様が目覚めるまでの間、保護という事にするしかないのではないでしょうか?」

 何時の間にか新しい声が混じっていた。
控え目な物言いからしておそらく、真田幸村だ。

「なら、善は急げだ。俺に任せな。あんたらはしなきゃなんない事が他にあるだろ?」

 すぱん! と音が鳴って、茶室の窓に嵌められた障子が横へと動いた。
止めようとする諸将の固まった腕と、してやられたという表情の三成の手前。
中庭を眺められる飾り窓に斜めに身を預けるようにして慶次が立っていた。

「なぁ、使者さんよ。ここにいるのは構わねぇ。
 けどな、さんは今病で深い眠りについてて目覚めねぇんだ。
 さんが目覚めるまでの保護って事にとりあえずはなるが、それで構わないかねぇ?」

 慶次の言葉を聞き、公家が顔色を変えた。
彼は体裁も構わずに飾り窓に噛り付いて吼えた。

「今何と申された!?」

さん、寝てんだよ。病に臥せってる」

「それを信じろ、と…?」

「ああ。仕方ねぇさ。何があっても起きねぇ。兼続の話じゃ呪いなんじゃないかと…」

 彼の顔には焦りがくっきりと浮かび、冷や汗が浮き上がっていた。
動揺が現れているのか、ガチガチと歯が鳴る。

「慶次!」

 そこまで言う必要はないと三成が視線で釘を刺せば、窓を挟んで茶室に座す公家の顔は蒼白だった。

「深い…眠り……」

「別にいいじゃねぇか。隠したってこちらさん不安になるだけだぜ。
 こういう事は後々とやかく言われない為にも洗いざらい話とくに限るんだよ」

 慶次と三成が問答を繰り広げ、幸村が気遣うように視線を送る。
すると公家はずるずるとその場に崩れ落ちて呻いた。

「…なんということだ………あやつは……義輝様ばかりか……の姫まで呪うたのか…」

「!」

 独白を聞き洩らさず、全員が動きを止める。

「今なんと!?」

 三成が怒気も露に問えば、彼は茫然自失といった様子で答えた。

「……知らぬのか……松永久秀は、主家に弓引いた時……主を深い悪夢の中に閉じ込めた…。
 呪いをかけたのは、きゃつと足並みを同じくする本願寺じゃ…。
 おお、おおおおお、なんということか……慈愛の姫であれば…義輝様の救いとなると…信じておったのに…」

「…おのれ…松永久秀っ!!」

 ついに本性を出したかと、三成が唸る。
彼の手に握られた鉄扇がみしみしと音を立てて折れ曲がって行くが無理もない。
 半兵衛、秀吉、左近は沈黙を護り、この先どうすべきかを思い悩んでいるようだ。

「本願寺の呪いは強力じゃ……あの呪いの中に囚われたら最後…逃れる術などないわ……」

 公家は自らの着物の袖で目元を拭い、義輝と我が身の不遇を嘆く。

「そうでもなければ、武に秀でた義輝様が、あのような忍風情に後れを取ろうはずがあろうものか。
 まさか…まさか、の姫まで手にかけようとは……なんと恐ろしい男か…」

 首謀者は分かった。
が何をされているのかも分かった。
兼続の機転で、それを回避する為の準備も進んではいる。
だがそれだけではだめだ。
 事を起こした黒幕を排除しない限り、の身にも天下にも安寧は訪れない。
だがは眠りの中。復興とて済んでいない領では、資材・兵力共に乏しく、次の戦など起こせない。

「…手詰まりだ…」

 左近が茶室の柱を拳で殴った。

「…どうすれば…」

 幸村が視線を落とし、ついに三成の手の中で鉄扇が折れた。
次の瞬間、この場に蜂須賀小六が血相を変えて、この場に飛び込んで来た。

「秀吉!!! 大変だ!!!」

「小六? どうしたんじゃ?」

「信玄から特急便が来た!!」

「お舘様から?」

 全員が怪訝な顔をすれば、小六は紐解かれた特急便を秀吉へと押しつけて叫んだ。

「謙信だ!! 上杉謙信が、攻めてくる!!!!」

 

 

 事情が変わったことから、茶室に招いていた公家を評議場へと入れた。
急報にてそれぞれの持ち場から呼び戻された諸将は、自領の置かれた状況を知り、皆、息を詰めていた。
この招致は邸に身を隠していた兼続に対しても例外はなかった。

「…信玄公は何と?」

「ただ、川中島へ侵攻して来たと。迎撃の為に陣を敷く…との事です」

 敬愛する師のことを思い、幸村は落ち着きを失っている。
こういう場合は、大抵左近が諌めるが、左近にとっても信玄は師である。
幸村と思いは同じようで、顔色はあまり良くはない。

「まぁ、待つんさ。まだ戦になるとは決まっとらんよ」

 秀吉が言う。

「大殿? 何かお考えがあるので?」

 期待に満ちた眼差しで左近が秀吉を見れば、秀吉が大きく一つ頷いた。

「考えとったが、もう他に方策はないんさ」

「と、いうと…?」

「足利の旗を掲げる」

 皆が目を見張り、息を呑む。

「どういう天の巡り合わせか、今領には義輝様がおられるんさ。
 暗殺から命からがら逃れて来た義輝様を擁護する国に攻め入ったら、大義が立たんのさ」

「し、しかしそれでは…松永に攻め込む口実を持たせるのでは?」

「かもしれん。じゃが使者殿のお話じゃ、とっくに様は久秀に害されておる。
 明智とは戦う理由は、今のところはない。が、久秀との戦いは避けては通れんのさ」

 言われてみるとそれもそうかと、諸将が頷く。
場に居合わせている公家が強く頭を縦にふった。

「足利の旗を立てれば、日和見していた国々が力添えしようぞ!
 久秀は朝廷にも強い影響力を持つが、きゃつを恐れておる者も多い。
 義輝様の御名を掲げれば、必ず、必ず、支援する者が現れよう!!」

 公家は懸命に訴え続けた。

「なるほどな……他に…方策はないか……」

「兵力での支援が出来ずとも、資金や兵糧で支援する者は多いはずじゃ! それで牢人を集めることもできよう?」

 きょろきょろと諸将の顔色を伺う彼の前で兼続が一つ咳払いをした。

「だがその前に、殿の身の安全を確保せねばなるまい」

「…それも、そうか…」

 沈痛な空気に包まれる一同の中、幸村が何かを決めたように顔を上げた。

「秀吉殿、私はお舘様の下へ行こうと思います」

「幸村?」

「松永家と戦は決め手に欠けますが、謙信公の進軍は既に始まってしまったもの。
 様の奪還の為に兼続殿が法力を行使するまでの間、謙信公の進軍を阻む者が必要となりましょう」

「なるほどな」

「足利の旗を掲げれば謙信公は凌げますが、その前にお舘様が突破されては意味を成しません」

「道理だ」

 孫市、三成が相次いで頭を縦にふる。そんな中、隣室にて書記に勤しんでいた高坂昌信が、振り分けていた書簡の一つに目を止めると、立ち上がった。

「皆様方、徳川殿からの特急便がこちらに混ざっておりましたよ」

「家康殿に何かあったんか?!」

 秀吉が振り返れば、昌信は一番近くにいた孫市へと広げた書を手渡し、同時に内容を述べた。

「家康殿におかれては、先頃よりお舘様と書を交わしていた様子」

 孫市が斜め読みし、隣にいた蜂須賀小六に渡せば小六はそれをそのまま半兵衛へと横流しした。
どうやら彼は読むよりも口伝で聞いた方が早いと判じたようだ。

「此度の進軍を察知し、お舘様と共に迎撃に行くと。帰省の最中故、合流は難しくはないはずと仰せです」

「なんと!」

「なお、それに際し、各地に散らばっている徳川勢を呼び集め、伊達政宗、浅井長政を動員したよしにござる!」

「そんなにか?! あいつは何を考えている! 政宗や長政まで動かせば再建が滞るぞ!!」

 キレた三成の弁を昌信は掌で押し留めた。

「無理もござらぬ。寧ろ家康殿の機微に感謝せねばなりますまい。
 かの進軍、攻め寄せるは謙信だけではござらぬ」

「他に誰が来るというのか?」

 兼続の問いかけに昌信は、一度沈黙した。
諸将の喉がごくりとなる。

「……本多忠勝……」

「なんじゃと!?」

 秀吉が目を大きく見開いた。
皆の視線が自然と慶次へと向いた。
 古今独歩の士・本多忠勝。徳川の守護神であり、家康の忠犬と呼ばれる男。
そして彼は、天下御免の戦人と呼ばれる慶次と対等に戦える唯一無二の存在。
そんな化け物級の士を従えた謙信と、此度は防衛戦をせねばならないというのか。
 三成は動員のし過ぎだと叫んだが、実情を知れば、誰でも昌信の弁を支持するだろう。
軍神と古今独歩の士という凶悪な組み合わせ相手では、今回敷いた防衛網は脆弱過ぎると言って過言ではあるまい。

「お舘様の動きを察知した武田家家臣が出向いておりますが、伊賀忍の話では後衛に鬼柴田が出ているようにござる」

「くそ!!!! どうしろというのだ!!!! 四面楚歌ではないか!!!!」

 三成が評議机を強く叩いた。

「秀吉殿!! やはり、ここは私が!!」

 幸村の願いを昌信が押し留める。

「お待ち下さい、お舘様が仰せなのです。この場に残る方々で、松永家に当たるように…と」

「どういう事です?」

 左近が身を乗り出せば、昌信は半兵衛の手の中で止まったままの書状を示した。

「かねてより家康殿から届いていた密書により、何かを気取っていたご様子です」

「そうか…松永を放置できんと、信玄殿はそう読んどったんじゃな」

「左様にござる」

 頷き、昌信の視線はまっすぐに慶次を捉えた。

「特に慶次殿におかれては、"を出ることまかりならぬ。松永への侵攻以外においては"と仰せです」

 慶次が腰を落とした。

「忠勝さんを止められるのは俺しかいねぇ。が…信玄の読みも間違っちゃーいねぇな」

「…一刻を争う……何としても、我が君の奪還を果たさねば…!!」

 兼続が立ち上がり、歩き出した。
三成が慌てて彼の前へと回り込む。

「どこへ行くつもりだ!?」

邸へ戻り、祈祷の準備を進める。戦は皆に任せる。
 聞き及んだ話では、本願寺の呪詛であれば討払うは容易ではない。万全を期さねばなるまい」

「…そ、そうか…」

 三成が道を開ける。
兼続が再び歩き出す。

「戦は皆に任せる。頼んだぞ」

 凛然と歩きだした兼続の背に、慶次と左近が腕を上げて答えた。

 

 

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前門の梟、後門の龍。(20.01.25.)