光と影

 

 

 家の最大の資材庫の中に、深夜、一人の来客があった。
風光明美な着物に身を包む少女だった。
少女は蔵の外に供の者を待たせると、人目を忍ぶように一人で蔵の中へと入って行った。
胸の前でしっかりと握る懐剣が彼女の緊張を示すようにぶるぶると震えている。
彼女は額に汗を浮かべ、荒い呼吸に胸を上下させながら、慎重に歩みを進め続けた。
 一見何の変哲もない蔵の中央まで歩みを進めれば、やがて大量に積み上げられた資材棚の一角に、この場に不釣り合いな飼い葉の山が見えてくる。
少女は束にされて積み上げられた飼葉に手をあてて数を確認する。

「七番目…七番目の、飼葉の…下…」

 目的地を定めた彼女は床下へと視線を移した。
足元を照らすために、手にしていた行燈を柱に引っ掛けると、即座にその場へと腰を落とした。
行燈の弱い光の下、無造作に打ち付けられた床板に散らばる飼葉を片手で払う。
やがてそこに資材蔵には不相応な石が敷き詰められているのを見つけ出した。

「間違いない…ここが…」

 独白し、確かめようとするように磨かれた石を一つ一つ手で撫でてゆけば、一つ緩みのある石を見つける。
高揚する鼓動を堪えて、深呼吸を一度してその石を掌で押し込んだ。
蔵のどこかで歯車が噛み合う音がする。
ズズズ…と音を立てて、飼葉が積み上げられている棚の一角が動き出した。
ぽっかりと開いた闇の中に、地下へと続く緩やかなスロープがお目見えする。

少女は再び柱から行燈を取り上げて、闇の奥へと歩を進める。
狭い隠し通路を、行燈の光だけを頼みに進み、小さな階段を下りれば、闇の中から無機質な声が響いた。

「このような時間にどうされましたか」

「!」

 隠密行動のはずが、見透かされたように声をかけられて息を呑む。
様子を窺うように顔を強張らせて辺りを見るが、闇に塗れた地下室には人の気配はない。

 言いようのない不快感を覚え、恐れに喉の渇きが一層強くなった。

「もう一度伺います、どうされましたか」

 声だけでなく、次の瞬間には目の眩むような閃光を向けられて、少女はたじろぐ。
小さな悲鳴を上げて、降りかけていた階段に尻餅をつけば、咄嗟に放した懐剣と行灯が階下へと転がり落ちた。

「失礼、驚かせてしまいましたか」

 明かりが調節されたのか、幾分か眩しさが和らいだ。
少女は慌てて階段を降りて、落した懐剣を拾い上げた。
光の反射で懐剣の存在を認めたのか、声は淡々と言った。

「…よした方がよいでしょう。そのような刃では、私は壊せません…」

「や、やってみなければ、分からぬ」

 震える声、切羽詰った形相、異常な高鳴りを見せる心拍数から、相当追い詰められていると推測した。
ドルゥン!! と、聞き慣れぬ躍動音が地下で上がり、反響する。
少女はその音だけで震え上がった。
やはりその場に尻餅をつく。

「よろしければ、事情をお聞かせ願えませんか、レディ」

 ゆるりと進んで彼女の落とした懐剣を車体の影へと隠せば、少女は惑うように視線を忙しなく動かした。
計画性あっての行動ではなく、衝動からくる行動であったのは明白だった。

「……わ、わらわは………」

「ここでの事は、貴方と私の秘密にしましょう。
 私は、家の最高機密です。貴方の行動を、外で風潮するような事はありません。
 貴方の悩みを聞かせて下さい」

 抑揚のない無機質な声に不安を覚え震えていた少女は、身を引くとその場からあっという間に逃げだした。

「…レディ? …何時でもお待ちしていますよ…」

 通路を手探りで進む少女の背に向けられた言葉に、少女の胸には奇妙な迷いが生じ始めていた。
想定外の来客が帰り、元の位置へと戻ろうとしたは、自分の車体の影に隠した懐剣に刻まれた文様を確認した。

「……葵の紋……徳川の者が…何故?
 神託の書には徳川の謀叛は記されていません……では、何故…? ……理解出来ません…」

 

 

 人目を忍ぶように、まるで幽閉でもされるように用意された寝床に不満はなかった。
かつて産声を上げた世界では、多くの人々の思考と感情のせめぎ合いを目視し続けてきた。
人工知能が完成に近づくにつれて、利便性を重視して言葉を与えられ、声を与えられた。
 自分は試作機。
自分で試した結果、生じた不都合を消して、磨きをかけた機能を搭載した完璧な後継機が、与えられた任務を完遂すればそれでよい。そうプログラムされていた。にとっては、任務こそが全てだった。

 それが、あの日、あの瞬間。
運命の変革が迫り、輸送されるべきはずの後継機は時空の狭間へと消えて、試作機であるはずの自分が違えぬ事の許されぬ任務と共に領へと辿り着いた。
 人の言葉ではそれを「運命の悪戯」というのだと、マスターであるに教えられたのはつい先日のことだ。
そのも、と共に毎日のように顔を出していたのに、戦がなくなった途端、姿を見せなくなった。
 寂しさはなかった。
本来ならば自分はこの世界に存在していてはならない物だ。人目を忍ばねばならないのは当然のこと。
警護対象であるが築く世の礎となり、こうして静かに眠り続けられるのであればそれに越したことはない。
そう考えて過ごし始めて数日、深夜の来客があった。
そして、あの夜から更に数日。再びあの少女は、泣きそうな顔をして、の前に佇んでいる。

「…わらわの話を聞いてくれるというのは、本当…?」

「……はい、構いませんよ…」

「誰にも言わないのも、本当?」

「はい、貴方が望むのならば……それに、ここへは最近は誰も来ません」

 の言葉に胸を突かれたのか、少女は強く唇を噛み締めた。

「レディ、名を伺ってははなりませんか」

「…わらわは……梶と申します…」

「……後の英勝院殿でしたか、拝謁嬉しく思います…」

 よく分からないというように表情を曇らせる梶には言う。

「降りてきませんか。立ち話もなんです、宜しければ、私におかけ下さい」

 の後部扉が開く。
猫に腹でも見せられたような気がしたのか、梶は遅々たる歩みを進めると、

「邪魔をする」

 言葉少なく言って後部座席へと身を投じた。
そのまま扉を閉めても良かったのだろうが、不慣れな梶を相手にそれをしては面倒な事になると考えたのか、は何もしなかった。

「どのようなことがありましたか?」

 問えば、梶はそわそわと辺りを見回した。
好奇心ではなく、自分の声が何者かに聞かれてはいないかと、心配しているようだった。

「扉を閉じれば、私の他に誰にも、声も姿も、見せる事はありません。ご希望があればそのようにしますが?」

「よきにはからえ」

 即答を受けて、が後部座席を閉じる。
すると梶はほんの少しだが安心したように胸を撫で下ろした。

「わらわは、許しを願いにきた」

「どのような罪を犯されましたか?」

「……わらわは……わらわは…」

 ぶるぶると震えて、声もか弱く揺れる。
両目からは早くも大粒の涙が溢れだした。
着物の袖で懸命に眦を拭い、梶は言った。

「…そなたの主がここへ来ぬのは、仕方がないのじゃ。
 わらわが詮議を申し立てて幽閉してしまった」

 驚きの事実を示されてもは何の反応もしなかった。

「…悔しかったのじゃ。とてもとても……悔しかった…」

「何故ですか?」

「…だって、だって………様は、忍びの妻を重んじてばかりいる。
 家康様の部下であった浅井市とも、親しげにお出かけになられるのに、わらわには一向にお声掛けして下さらぬ。
 今かと今かと、ずっとずっと、待っているのに…」

 そこで梶は声を詰まらせて「うううう…」と泣き崩れた。

「…政宗に愛姫を引き合せた時は度々愛姫のお屋敷へ出向かれたと聞く……」

 話を聞いていたは、彼女の感情の動きに同調する事もなければ、憤る事もなかった。
ただ、話を聞きながら、遠い昔、生を受けた時代でも似たような光景は目にしていた事を思い出した。
あの時は確か自分に搭載する機能を提案したエンジニア同士の手柄の奪い合いだったか…。
光の当たる場に立つ者が居れば、その陰で誰かが泣いているものだ。
彼女が今語っていることも、そういう事なのだろうと理解した。

「わらわは側室の身…高望みと言う事は分かっている…。
 …けれども…多くの妻の中、わらわだけがこの地へと呼ばれた。
 家康様はわらわの才が、の助けになると、そう言うて下さった。
 だからこそ…常にお城の中にいるのに……様には、気がついては…頂けぬ…。
 我が夫は家康様じゃ。様の信を多く得ていると聞く、なのに、どうしてわらわにはお声がかからぬ?
 何故、忍の妻ばかりがお傍に呼ばれるのか…!! わらわは、武士の妻ぞ?! 本来ではあれば、あの者の立つ
 位置に、わらわがいるはずじゃ…!! なのに…そうじゃない…何時も何時も、様のお傍で微笑んでいるのは、
 あの女の方……どうして、なんでなのじゃ…?」

 それは一重に歴史に疎いがピンと来ていないだけなのだろうが、それがこの場に居合わせる一人と一台に分かるはずもなかった。
 「そなたにはこの苦しみは分かるまいな…」と一人愚痴て、梶は切々と訴え続けた。

「腹いせのつもりだったのじゃ。そなたは元はと言えば、様のからくりじゃろう?
 それをが無断で使ったと申し立てて幽閉して困らせるだけのはずじゃった…」

「そうではなくなったのですか?」

 の問いかけに、梶はおいおいと泣き崩れる。

「…天罰が下ってしまった」

「具体的にはどのような罰です?」

「……わらわが姑息な策を弄じるから、天がお怒りになられた。
 様は病で倒れられ、家康様は北の国境を固めるべく信玄公と出陣なされた。
 様が共に出陣されぬ事で兵の士気も揮わぬと聞く…もしかしたら家康様はこの戦で……。
 全て、全てわらわのせいじゃ」

「…それで、何故私を害そうと?」

「分からぬ……ここに来るまでは、そなたのせいだと思っていた。
 そなたが現れたから、そなたがわらわではなくを選んだから…」

 しゃくりあげながら梶は言う。

「…でも、それは違う。本当は、わらわがいけなかったのじゃ…このように考えてしまう、わらわの心が……」

 は沈黙し、それから淡々と問いかけた。

「英勝院殿、クイーンは、本当に病なのですか?」

「くいーん? くいーんとはなんだ??」

「クイーンは女王を指す言葉です。この国ではを指します」

「呼び捨てにするでない、無礼者!」

「失礼しました。それで、どうなのですか? 本当にクイーンは病なのですか?」

「そう聞いておる。重臣の方々も、様を心配していて、城内が張り詰めておる」

「そうですか…ですが、信じられません。この時期、が病に倒れるとは、私のデータベースにはありません」

「何を言う!! わらわが嘘をついているというのか! 無礼な!!
 佐治の者も原因が分からぬ不治の病と申しておったぞ!!!」

「落ち着いて下さい、英勝院殿。私は知りたいのです。それは、本当に、病なのですか?」

「え?」

 室の中に躍動音が上がった。が稼働し始めたのだ。

「何をするつもりなのじゃ?!」

「英勝院殿、お願いがあります」

 涙をせっせと拭く梶には提案した。

「我がマスターの代わりに、貴方が私をここから外へと出して下さい。ここは地中です。
 ここから外に出るには手順を重んじて、秘密の通路を通らねばなりません。
 ですがそれは、私の手で動かしてはならぬものです」

「何故じゃ?」

「マスターの命令がないからです」

「またか!! どうして皆、あの者ばかり…」

「英勝院殿、落ち着いて下さい。
 私は、私の持てる全機能でクイーンが病であるならば、その病を治したい、それだけです。
 マスターは今は関係ありません」

「でも、今言ったではないか」

「ええ、マスターの許しなく動いてはなりません。ですから、貴方に私を連れ出してもらいたいのです。
 それに今回の事で貴方の尽力があった事を知れば、きっとクイーンは貴方に感謝するでしょう」

「感謝などいらぬ、わらわは……わらわとも、仲良くして頂きたいだけじゃ…」

「それが叶うと申し上げています」

「!!」

「お手伝い、願えますね??」

 

 

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