光と影

 

 

 皆が評議場で話しあっている頃のこと。
急務で呼び戻された半蔵は、が閉じ込められている座敷牢を訪れていた。
横領疑惑がかけられている為、酷い責め苦を追わされているのではないかと懸念していたが、その心配はなかった。
が夢幻迷宮に囚われ、証人となる家康は京の都へ出向き不在とあっては、公平な詮議は出来ない。
故に、に対する詮議自体が棚上げになり、現段階では重要参考人としての扱いのまま放置されていたのだ。
 奥向きに関する全権限を失い、座敷牢から出ることこそ適わぬが、食事はきちんと与えられたし、湯を染み込ませた手拭いで身を清めることもできた。
 何よりも常日頃から柔和であった彼女には敵は少なく、番人となる兵ですら気を許していた。
の話では暇を持余さないように、彼らは休憩の度に声を掛けてかるたや花札なんかをして一緒に遊んでくれたのだという。外の事情を知らぬとは言え、能天気な過ごし方だ。
 だがそれもらしいと、半蔵は常に鋭い眼差しの中に柔らかな光を湛えた。

「半蔵様!」

 久々の再会を夫婦は喜び、束の間の逢瀬を楽しんだ。
どちらからともなく駆け寄ると口付けて、互いの身の無事を喜ぶ。

「苦はないか?」

「はい、ございません。半蔵様は…お変わりございませんか?」

「心配は無用だ」

「良かった…」

 嬉しそうには微笑む。
半蔵はそんなの髪を透き、強く両手で抱き締めながら問いかけた。

「…、此度の件だが…」

 彼としては幽閉した者がお梶の方である以上、強くは出れない。
何しろ相手は家康の側室だ。
とはいえ、このような目に合わされて、に耐えろというのも酷であると、気を揉んでいるのだ。

「半蔵様、ご心配には及びません」

 半蔵の思いを察しているのか、は微笑む。

「何か、誤解があると思うのです」

「そうか」

「はい、は梶様とも仲良くしたいのですけれど……なかなか方法が思いつかなくて…」

 「この思いは届くものだろうか?」と無垢な眼差しで問われて半蔵は毒気を抜かれたように小さく笑う。

「そうだな、時間はかかるかもしれないが」

「はい、信じます。そう信じることが、願いを叶える一歩ですもの」

「良い、言葉だ」

様が教えて下さったのです」

 合点がゆくと相槌を打った半蔵は、そこで表情を改めた。

「はい」

 半蔵の声が一層艶を増す。
一際低く、硬さを纏った声色に、も何かを気取ったのか、自然と夫から距離をおいて、膝をついた。
半蔵はの前に腰を下ろし、問いかけた。

「主が呪いを受けた」

「な…!」

 目を丸くして、慌て出し、声を上げそうなを黙らせるべく、半蔵はの首の後ろに手を回して引きよせ唇を重ね合わせた。うっとりと酔いしれるから唇を放し、彼は再び問いかけた。

「兼続が邪は払う。心配はいらぬ」

「は、はい〜」

 熱い口付けに蕩けたような顔をするには頓着せず、彼は淡々と問い続けた。

「呪詛の媒介を探している。心当たりはないか?」

「…はぁ…私、ずっとここにおりましたし…」

「兼続が領を出た後、呪いを受けた。判ずるに、お前がここに繋がれた後だ」

「あ!」

 半蔵の言葉を聞いたは小さく掌を打った。

「半蔵様、様は街に降りることが大変多いですが、朱・桃・橙・浅葱といった、明るい色の物を好まれます」

 の言葉に半蔵は相槌を打った。

「それに皆様に内緒で手に入れた物は、箪笥の二段目の奥に、こっそりと隠す事が多いのです」

「…その中で、好みの色ではない物があれば…?」

様お言葉をお借りするならば、びんご! ですわ」

 半蔵は小さく頷いた後、瞬時に夜の闇に溶けた。

 

 

 が半蔵を見送って、数刻としない内には懐かしい躍動音を耳にした。

「?」

 何事かと立ち上がって白壁に耳を寄せようとすると、壁の対極に、轟音と共に碇のような形の金具が突き刺さった。
碇が外から引かれたのか、白壁の一角が力任せに引き剥がされた。大きな穴が開く。

「きゃぁ!!!」

 仰天して腰を抜かしたに向い、フロントライトが当たる。
当然音に驚いた詰所の兵が駆け付けるが、その場に源氏輪に並び矢の紋を浮かび上がらせた巨大なからくりの姿を認めると、どうしていいのかが分からずにその場に立ちすくんだ。
 満月の光の下で巨大なからくりの中から、梶が姿を現す。

「服部! 火急を要する故、しばし詮議の沙汰は不問とする。供に参れ!」

 不服という色を湛えた梶の一喝に慄きはしたものの、急かすようにが激しくパッシングを繰り返す。

「…殿…」

 不安そうに見守る見張り番達に笑顔で「大丈夫」と告げたは、程無く梶と共にの中に身を投じた。

 

 

「一体、どうしましたの? さん」

「マスター、の身に危機が迫っています」

「半蔵様に伺いましたわ」

 失言したことに気が付いていないの会話を、助手席に正座する梶はつまらなさそうに聞いていた。
は今、夜の闇を縫うように再建が進んでいる街道を進んでいた。
時に土砂に混じった大きな石に進軍を阻まれたが、その都度、先の碇の形をした金具で打ち砕き進み続けた。
朝になったらこの地の整備に駆り出される人々は、悪戦苦闘せねばならない厄介な岩が一つ残らず破片になっている事に驚くと同時に、歓喜の声を上げるだろう。

「確かめなくてはなりません」

「何を…ですの?」

「覚えておいでですか? 私には後継機があることを」

「ええ。そういえば…この前逃げている時に教えて下さいましたわね」

「後継機がこの時空にいる可能性があります」

「まぁ!」

 が嬉しそうに掌を叩いた。
の弟であれば、の救いになるのではないかと単純に喜んでいるようだ。
だが隣に座している梶には、第六感が働いているのか、険しい面差しになる。
梶の思惑を察したようには言う。

「英勝院殿の察する通りです」

「梶でよい、妙な名で呼ぶな。からくり」

「失礼しました。ですが私はからくりではありません。私の名はAtomic industry Zero.」

「どうでもよいわ、かような事。わらわには興味はない」

「またの名を、さんですわ。様に仕える方々が送って下さった隠密です」

 思い切り自分が掛けられている容疑について黒だと自爆するに、梶が意地悪な笑みを向ける。

「つまり、貴様が横領したという事か」

「その質問は否定します。事情が変わったのです」

「何?」

 それからの進路では何があったのかを丁寧に話して聞かせた。
梶は俄かに信じ難いと怪訝な眼差しを見せていたが、を機転でマスターにしなくてはも家康も命を繋ぐことはなかったと知ると、渋々といった様子ではあるが頷いていた。

「お分かり頂けましたか?」

「そちの弁は考慮する。が、家康様に伺い真偽がはっきりするまでは、わらわは何人も信用はせぬ」

「そんな、お梶様。さんは嘘はつきませんわ」

 この場合、虚言を疑われているのはではなくの方だ。
その辺が全く分かっていないらしいと、敵意を隠しもしない梶。
そして感情の機微に疎いの不可思議なトリオの進軍は、目的地に辿り着くまで延々と続く事になる。
が目指した目的地は、松永領と旧毛利領の境目にある仏閣・本願寺。
この時代にあってはならないはずの磁場を形成する場所。
 同じ目的を持ちながら、全く異なる道を進んだ兄弟の再会の瞬間が、すぐそこまで迫っていた。

 

 

【Side : 川中島】

"川中島の合戦は、最低十年は続きます"

 初の謁見で、見目麗しい姫はそう告げた。

「川中島のう…」

 あの時は何を言われているのかよく分からなかった。
だがこうして陣を敷いてみれば、彼女の言葉の重みがよく分かる。

「怖ろしい話じゃね。述べた通りになりよる」

 これこそが天の遣わした姫の持てる力なのかと、信玄は騎馬の上で軍配を揺らした。

「し、信玄殿! 儂らだけでどうにかしのげるか!?」

 彼の後方には物量輸送に駆り出されている斎藤龍興の姿があった。
不思議なもので信玄の傘下に入った彼は、信玄が後見人を務める9歳の幼子と足並みを合わせて、信玄に再教育を受けている。その効果がどのように出ているかといえば、御覧の通り、この地に物量輸送兵としてでも出てくるだけの変化を持つようになった。自ら刀を取って先陣を買って出るような気骨はないが、怠惰に過ごしているだけだった過去を鑑みれば、大した進歩だ。

「家康が後詰になっとる。戦線を食い止めれば、政宗・長政の別動隊が謙信の横腹を突いてくれるだろうて」

「そ、そうか。わ、儂は…どうすればよい?」

「そうじゃの。今まで通りで構わんよ。物量輸送に励んでくれるかね?」

「分かった。安藤達を急かすとしよう」

「うむ」

 騎馬を操り引き返して行く龍興には目もくれず、霧に包まれた川中島の大地を眺める。

『果たして横腹を突けるまで持つかが問題じゃのう…くわばら、くわばら…』

 自身を囮にするかのように布陣した信玄には、一つ腹に収めている目的があった。
それは、他でもない上杉謙信との邂逅。
神の軍略を持つ彼と、なんとかして語り合わねばならない。
 事の始まりは謙信の易だ。
謙信と袂を分かち、地獄門を開く者を屠るのが天命と、それぞれの道を歩いた。
 謙信は明智を、自身はを測った。
その結果を伝えねばならない。
本来であれば龍の刃はに向くべきものではない。
明智か、はたまたの後方でを脅かしている梟か。

「どちらでもいいよぅ、謙信。おことの軍略は、殿の為に揮ってもらわねば困るのだよ」

 

 

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