光と影

 

 

【Side : 川中島 - 街道 -】

 所変わって、旧伊達領・旧領から続く街道沿い。
急報を受けた長政・政宗が個々に隊列を組み、騎馬を懸命に走らせていた。
勇猛果敢に先を急ぐ長政と違い、政宗は傘下に収めた海津城を経由する事で、ありったけの鉄砲隊を引き連れていた。
繋ぎとなる伊賀忍の齎した情報から、かの地に濃霧が立ち込めている事と、本多忠勝の出兵を知った。
の本拠地を脅かす梟のことを考えれば、慶次を動員出来ない。
ならば古今独歩の士・本多忠勝を擦り減らせるとしたら、銃撃による遠距離攻撃しかない。

時に機敏な彼は、これから起こる戦況を先読みしたのだ。

『領地再建は小十郎に任せてきた。後方の憂いはあるまい。
 成実は先に発たせ、武田騎馬を預かる馬場信春、蜂須賀小六との連携も可能…。
 じゃが此度の戦では、殿が編み出した演舞は使えぬ…果たして勝てるか?』

 汗血馬に揺られるせいで、首から下げていた飾りの先端が頬を打った。
領を発つ時に愛姫から恋文に混じって届けられたお守りだ。
政宗はそれを掴み、鎧の下に戻すと強く強く先を見据えた。

『臆すな、政宗!! 飛躍の時は今ぞ!!
 儂が見据えるは、この戦に在らず!!! 殿が築く、後の世よ!!』

 腹を蹴れば、答えるように汗血馬が嘶く。
政宗の頬を打つ風が、匂いを変える。
戦の波動がそこまで迫って来ているのを肌で感じ、顔を引き締めた。
 刹那、

「はぁ!!!!!」

 甲高い掛け声とともに矢を浴びせかけられた。
辛うじて馬を捨てて難を凌ぐ。
汗血馬が首を大きく振り、射かけられた弓矢を打ち払い、街道を走り抜けた。

「ここから先は、一歩たりとも行かせはしません!!!」

 汗血馬を見過ごし、霧の中から出て来たのは姫武者と白髪の若武者。
そして二人の後方には老齢の軍師が赤と青の一群を連れて、佇んでいる。

「くっ…読まれていたか」

 大地を転がって難を凌いだ政宗が立ち上がる。
彼の前に立ち塞がった姫武者が大振な弓に矢を番えて叫んだ。

「お覚悟!!!」

 鉄砲を使うには、場所が悪い。
細い街道で、前に政宗がいるとなれば、銃撃しても流れ弾が彼に当たらないとも限らない。
戦況不利を瞬時に判じた政宗の供をしていた童顔の将が、頭部に乗せていた鬼の面を瞬時に顔に重ね合わせて政宗の前へと躍り出た。

「露払いは、私が…」

 と、同時に、対峙する政宗・稲の間に山間から、一頭の馬が飛び出してきた。
馬の上で番えた尖槍をひゅんひゅんと回して構えた男が吠えた。

「ちょっと待った! 井伊直政、ここに推参!! 三対二ってのは、卑怯だぜ」

「直政様!? どうして、ここに…!!」

「女子はこんなところにいては駄目だ、駄目すぎるぜ! 稲殿!!」

 弓を構えた稲の顔に影が刺す。
そんな稲の肩に手を置き、幸村に似た武者が前に出た。

「君は政宗を。私が井伊殿を捕らえる邪気を祓おう」

「信之様……お願い致します」

 川中島へと続く街道沿いで、既に前哨戦は始まっていた。

 

 

【Side : 川中島】

 濃霧に紛れて、強い殺気が川中島を席巻する。

「…ふむぅ…」

 霧の向こうに並々ならぬ気の塊がある。他の追随を許さぬ突出した気迫だ。

「困ったもんじゃのう」

 体よく謙信との一騎打ちにでも持ち込めれば、自分の見たものを余さず伝えられると踏んでいたが、そうはいかないようだ。ならばとる方法は一つ、と信玄は軍配を揺らした。

「軍略で語っちゃおうかね」

 本体を囮に、武闘派三人集―――――蜂須賀小六、馬場信春、伊達成実を上杉本陣である妻女山へと差し向けたが、果たして啄木鳥戦法は功を奏すだろうか?
 何よりも濃霧の向こうに隠れる八幡原から漂う異様な殺気が気にかかる。

「下手を打ったかのぅ…」

 本陣の周りには精鋭の武田騎馬を集められるだけ集めた。
啄木鳥戦法を成功させるには、なんとしても八幡原に敵の目を引きつけておく必要がある。
家康の命を受けて酒井忠次が小隊を引連れて先に参戦しているが、いかんせん災害に次いだ戦後処理の最中だ。
どれ程頼りに出来るかは怪しい。

「お舘様!! 別動隊より伝令!!」

「どうしたのかね?」

 斥候が信玄の元へと走り込んで来た。

「別動隊に浅井長政様が合流されたとの事!!」

「おお!!」

 これ程心強い事はないと諸将は顔を綻ばせたが、信玄にはこの報は、焼け石に水のように思えてならなかった。

 

 

【Side : 川中島 - 街道 -】

 鉄と鉄のぶつかり合う音が上がる。
稲と政宗が、鬼庭綱元と真田信之が、井伊直政と本多正信とが、それぞれ一騎打ちの様相を呈し、攻防を繰り広げる。

「まさか本多殿とやることになるとは…止めませんか、こんな事は。殿も望まない」

「それは殿と見えてより判じようぞ」

「殿の分身とまで言われる男が、殿の気持ちが分からないのか…」

「…今は、黙して戦え」

 安い挑発には乗らないと、正信が刀を揮う。
直政が尖槍で弾いて石突きで正信の腹を打ち払おうとすれば、割り込んで来た双剣が軌道を変えた。真田信之だ。
正信の事を背で戦線から押しやり離脱させた彼に、鬼庭の刀が迫る。

「お互いこういう場は似合わないと思いますが」

「ならば引いて頂きたい!」

 流石は幸村の実兄、武では幸村に劣らぬ力を持つ。
彼は鬼庭・井伊の即興攻撃を容易く受け止め、いなした。

「信之様!?」

 稲が声を上げれば、信之は答える。

「大丈夫だ、稲! 気を抜いてはならぬ!」

「は、はい!」

 稲は懸命に弓を揮い、政宗へと向かう。

「政宗殿! どうしてかの魔女に力を貸すのです!! 目を覚まして!!」

「魔女? それは誰のことだ?!」

「お願いですから!!」

 立ち位置を入れ替え、時に距離を測り、矢を放つ。
それを政宗は刀で撃ち落とし、逆に銃の引き金を引いた。
避けた稲の髪を掠めたのか、稲の艶やかな黒髪が宙を舞った。

「稲、次は外さぬ。殿は天上よりおわした女性……侮辱は許さぬ」

「政宗殿!!」

 独眼竜とまで呼ばれた男をここまで懐柔するのか。
それ程かの魔女の持つ妖力は強いのかと、稲は愕然とする。
稲は迷いを打ち払うかのように、一度強く首を振ると弓に矢を番えた。

「捨て置けません!! 貴方をここまで誑かす魔女! 必ず、稲の手で!!!」

「世迷い言よな!! 殿に手出しはさせぬわ!!!
 そも、この戦のどこに大義がある?! 邪念があるとすれば、貴様らの方よ!!」

 政宗が一喝し、稲へと向かい駆け出す。
放たれた矢を一本、また一本と交わし、時に撃ち落とし、突進する。

「くっ!」

 振り下ろされた刀を避けて稲が掬いあげるように弓を振れば、政宗が後方に飛んで躱した。
間髪入れず追撃に移る稲の前に鬼庭が滑り込み、壁となった。
各将が互いの動きに配慮しながら繰り返す攻防は巧みで、後方に控える伊達鉄砲隊は鉄砲の標準をどこへ向けたらよいのかが分からず、手に汗を握っていた。彼らは決定的な瞬間を逃すまいと全神経を研ぎ澄まし、政宗の口から号令が出るのを手に汗握りながら、待ちわびていた。

 

 

【Side : 川中島】

 信玄の読みは当たった。
啄木鳥戦法は読まれ、八幡原では赤・青・白の軍団が入り乱れての乱戦になった。
謙信自ら八幡原に出向いて来ているだけではなく、敵の先鋒には徳川の守護神までもがいた。
妻女山に向かった別動隊は策の空振りに気がついて帰参を急ぐものの、綾御前率いる伏兵に足止めされた。
それだけではない。彼女の撃退に手間取る間に、上杉軍の後詰となっていた柴田軍の先鋒隊に包囲されてしまった。

「くうぅ!!! 耐えよ!!! 必ず、勝機は来る!!!」

 退路を失いながらも、妻女山では浅井長政が味方を鼓舞し、西洋槍を懸命に揮った。
伊達成実、馬場信春、蜂須賀小六が彼に追随する。
三重に敷かれた包囲網に風穴を開けるべく、彼らは必死だった。

 

 

 一方、八幡原では上杉謙信が破竹の勢いで進軍を続けていた。
彼の後方を固めるつもりなどさらさらないのだろう。
互いに功を競うかのように、本多忠勝も攻め上がってくる。

「ひぃぃぃ…!!!」

 恐れをなして逃げ腰になる将兵を掻き分けて、酒井忠次が懸命に戦場を駆けた。
信玄もまた本陣を空けて彼らの迎撃に当たる以外に方法がなかった。

「命が惜しくば退けっ!!!!」

 忠勝が吼える。

「天よ、照覧あれ」

 謙信が神がかった武技を見せつける。

「臆すな!!!! 武田騎馬の底力を見せよ!!!!」

 山本勘助が吼え、懸命に武田騎馬隊を使って戦況を掻き乱し続けた。

「信玄!!!」

「謙信!!」

 放生月毛を駆って単騎突入してきた謙信の渾身の一撃を、信玄が軍配で受け流した。

「お舘様!!!」

 兵が悲鳴を上げる。
反転した放生月毛が再び俊足を持って信玄に迫る。
一撃、二撃と打ち合い、馬力に押された信玄が八幡原の上を滑った。

「ぐぬぬぬ!!!」

「どうした、宿敵!!! 魔に侵され真価が出せぬか!!!!」

 謙信の言葉を振り切るように信玄が放生月毛の手綱を掴んで引いた。

「ぬおおおおおお!!!!!!」

 山のごとく足を大地に踏ん張り、掴んだ手綱を引けば放生月毛がよろめいて倒れる。
落馬した謙信が体勢を立て直す前に信玄は掴んでいた手綱を捨てて謙信へと向かいタックルを繰り出した。

「ぬうっ!」

 防御を取った謙信とぶつかり合い、さながら鍔迫り合いの様相を呈す。

「謙信、こちらが極楽じゃよ」

「笑止! 魔に落ちし者は皆そう言う」

「人の事が言えるのかね? この戦、大義はないよ」

「ふっ…目が曇ったか。宿敵。かの地を覆う邪気、ただ事ではあるまい」

 信玄の顔に影が射す。

「邪気、じゃと…?」

 突然の出兵の理由はそれか。
ならば頷ける。

神の化身と呼ばれる男だ。
遠く離れていても、謙信にはの身を襲っているであろう禍の影が見えるのだ。
だが問題は、それがを脅かしているように見えていないということだ。

『…松永久秀……これが狙いか…』

 食えぬ男だと思っていたが、ここまで狡猾だとは思わなかったと信玄は怒る。
彼の腹の中で渦巻いた怒りは力となり、謙信を圧倒した。

「せいっ!!!」

 鍔迫り合いを制して謙信と距離を置くも、本陣から陣太鼓が鳴り響いた。
謙信に感けている間に、忠勝が三国黒に騎乗し本陣へと突入したのだ。

「くう、万事休すかね…!!!」

 

 

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