光と影

 

 

 信玄が唸ると同時に、武田本陣から火の手が上がった。
忠勝を始め、突入していた兵が包囲策かと本陣から離脱を試みる。
 嵐のように駆け抜けた忠勝隊が八幡原西で隊列を整えると同時に、武田本陣から上がった火の粉が鎮火した。

「何?!」

 何事かと信玄、忠勝が顔色を変える中、武田本陣の門が次々に閉じ、内側から硬く施錠された。
続いて、領へと続く街道に建てられた門が閉まり、本陣同様固く施錠される。

「臨・兵・闘・者・皆・陣・裂・在・前」

 戦地に早九字が響く。
と、同時に、妻女山、八幡原、武田本陣に風魔忍軍が突如として現れた。

「むうっ!?」

「我は風魔…禍つ風……混沌をうぬらに与えよう…」

 突如として現れた風魔忍軍は武田方に加勢し、戦況不利を覆した。
一時遅れて、海津城に徳川家康率いる徳川勢が着陣。荒々しく吼えると一気呵成に打って出た。

「臆すな、兵よ!! 我らには様のご加護があるぞ!!! 底力を見せつけるのじゃ!!!」

「ムゥゥゥゥゥゥ……殿…!!」

 三国黒に騎乗していた忠勝が由々しき事態だと苦悶を顔に貼り付けて唸った。
敬愛する主が、得体のしれぬ者を【主】と呼んだ事への嫌悪が、彼に一層強い力を与えた。

「……ふっ、貴様の相手は、我がしよう…」

 そんな忠勝の前に、風魔が現れる。
妖術を使い、忠勝を三国黒から落馬させた彼は、間髪入れず忠勝へと襲いかかった。
八幡原は混乱という混乱を極めていた。

 

 

 一方、妻女山では、風魔忍軍の援護を受けた別動隊が包囲網に風穴を開けて八幡原を目指して進軍していた。
だが悪い事は続くもので、彼らの帰路には、更なる伏兵が待ち受けていた。

「お命、頂戴だよ!」

「シャァ!!! ここから先は一歩も通さねェェェェェェェ!!」

「黙れ、馬鹿。集中しろ」

 伏兵を形成するのは、ねね率いる忍者軍団と、秀吉の子飼いで形成された一群だった。

「なっ!? ね、ねね殿?!」

 秀吉の奥方であればと期待したのは束の間だった。
ねねは俊敏さを生かした武芸で、長政達に迫って来た。

「くっ! 下がれ、長政!! 話して分かる相手じゃねぇ!!!」

「コラ! 小六!! 失礼な事、言わないの!
 貴方と半兵衛がついててうちの人を止められないなんて駄目じゃない!!」

「な、何の話だよ?」

「どうせうちの人、綺麗なお姫様に熱上げていいように振り回されているんでしょう?!」

 そういう理由ではないのだが、常日頃から女人については全く信用のない秀吉との関係を、どうここで弁明したらいいのか言葉に詰まる。

「うちの人も!! うちの人を誑かした子も、悪いことする子は、皆まとめてお仕置きだよ!!!」

 

 

【Side : 城下町】

 川中島の戦の火蓋が切って落とされて三日後、領ではついに兼続が動いた。
領下の陰陽師を総動員し、大掛かりな規模で魔払いの祈祷を開始する。

 すると城下町には得体の知れぬ濃霧が生じた。
濃霧は感の鋭い者にはどす黒い煤のように見えていて、一目で、怪奇現象であると察しが付いた。
この濃霧は子供、老人、病人など、体力に余裕のない者へと害を出した。
濃霧にあてられた人々が道々で倒れる。
民家・商家に身を置く者には影響が少ないのか、害を受けていない者が倒れた人々を次々に救援の為に屋内へと引き込んでゆく。
 そこには身分による別け隔てはなかった。戦国の世であれば異例の事態だが、急事であればこそ命が最優先というの掲げる思想が民に強く根付いている証拠でもあった。
 義輝共々逃げ込んで来た使者の弁は、いよいよ真実味を増した。

かけられた呪詛からを護り、領下に蔓延る邪気を退けようと、兼続率いる陰陽師達が躍起なる。
相反する二つの法力がせめぎ合い、激しくぶつかり合えば、そこかしこで強いラップ音が鳴った。
本願寺との法力合戦は、命がけの戦いの様相を序盤から呈していた。

「すまぬ、幸村…伝令を頼まれてくれ…」

 祭壇の前で印を結び、法力を揮う兼続が苦しげに呻く。
彼の額には大粒の汗が浮かび上がり、彼の背にも汗が伝い落ちているのか、白装束の色が変わっていた。
法力戦争で兼続の後衛に回る陰陽師の何人かが押し負けて一人、また一人と呻きながらその場に倒れる。
酷いショック状態に陥った彼らを救護兵が別室へと移すのを横目に見ながら幸村は前へと進み出た。

「どうされたのですか、兼続殿?」

「何者かが本願寺の力を増幅させている…これ程の陰陽師が揃っていながらにして押し負けるはずがない」

 本願寺の発する法力もさることながら、何者かの介在で、尋常ならざる力の差を見せる戦い。
これでは、かけられた呪いを跳ね返せないと、兼続は早い段階で悟った。

今彼らに出来る事は、この呪縛によってが絶命するのを紙一重で押し留めることだけだ。

「そ、そんな…一体何者が…!?」

 死地に入ることで初めて見えて来たこともあると、兼続の視線は語った。

「本願寺だ、本願寺の敷地に…何者かがいる……彼らの法力を底上げしている…!! 強い念が…我が君を…!!
 ぐうううう…負けぬ!! 義は決して、くじけるものではないのだ!!!!」

 兼続の意識が研ぎ澄まされてゆく。
と同時に、祭壇の炎が猛々しく舞い上がった。
 次の瞬間、揺らめく火の粉の向こうに、本願寺が見えた。
本願寺に渦巻く摩訶不思議な磁場。その先を兼続が追えば、映像は松永家が有する自然湖へと移り変わる。
水面に波紋すら波打たぬ自然湖の底深く、沈むのは、そっくりのからくり。

「これは…? 様のからくり? いや、あのからくりは地下にあるはず…」

 幸村の視線が揺らめく炎に注視する。
すると映り込んだ映像は姿形を変えた。
本願寺の本堂が映り、続いて奥へと景色は流れる。
そこには苦悶に顔を歪める顕如の姿がある。

「…本願寺、顕如?」

 幸村が困惑も露に瞬きするが、無理もない。
何故なら炎の中に浮かび上がった顕如は、祈祷など一切してはいなかったのだから。
 家へと義輝を連れて逃げ込んで来た公家は言った。
本願寺の呪いが義輝と共にを脅かしていると。
だが現実はそうではない。
本願寺の最高権力者である顕如は何一つ、動いてはいないのだ。

「何故? まさか、あの男の弁こそが謀だとでも言うのか…?!」

 幸村の問いかけに答えるように、炎の中の映像が変わった。
顕如の背後に、何かがいる。
それは銃と思しき管を顕如に突きつけて、彼を監視するように一時たりともその場から離れはしなかった。

「………まさか……そんな……そんな、馬鹿な!!!」

 やがて、顕如を脅かす何かの正体が鮮明になる。
この時代にあるはずのないもの。否、あってはならないもののはず。
 顕如の背後に佇むのは、境内の中に鎮座するからくりと同じ質感を持つ銀色の球体だった。

 

 

 程無く城内の評議場で報告を受けた秀吉は、経緯を聞くと我が耳を疑うとばかりに目を丸くした。

「な、なんじゃと?! じゃあ本願寺は松永に従っとるわけじゃないんか?!」

「はい。恐らく、顕如を人質に取られているが故に、言いなりになっているだけなのではないかと…」

 邸からとって返した幸村の弁を聞いた秀吉は、驚きのあまり、座っていた椅子から転げ落ちた。

「…なんちゅうこっちゃ…」

「おい、ちょっと待てよ!」

 孫市が二人の話に割って入る。

「顕如はともかく、なんで女神を護るはずのからくりがそっちについてる?!」

「分かりません。ですが間違いありません、顕如を脅しているのは、あのからくり以外にありません」

「あんなもんがもう一つ、この世に存在しているというのか?!」

「そう…なります…」

 皆が思案し、言葉を呑む。

に真意を確かめねばなるまいな」

 三成が独白するように言い、左近が呼びに行こうと立ち上がる。
それと同時に、評議場へと兵が駆け込んで来た。

「申し上げます!! お梶様が様を伴い、と共に関を越えたとの事!!」

「何ィ!? 何が、どうなっとるんじゃッ?!」

 秀吉の目が白黒と忙しなく変わる。
左近が弾かれたように身を翻した。

「どこだ! どこ、目指してた?!」

「はっ、一路…本願寺を……」

 全員が再び息呑んだ。
そして、同時に悟った。
松永家との決戦はもう先送りする事は出来ない。
そして合戦の火蓋は、すでにこうして切って落とされているのだと。

「………もう……他に…術はないんさ…」

 秀吉が肩を揺らして大きく息を吐いた。

「秀吉様?」

 三成、半兵衛が小さく丸まった秀吉の背を見る。
秀吉は一度視線を落とし、それからゆっくりと瞬きする。
それから一度掌で己の足を叩いて、はっきりと言った。

「…足利の旗を掲げるで」

「し、しかしそれは最終手段で…」

「分かっとる、じゃがもう後がない。が敵の手に落ちたら…事じゃ。
 明智はもうええんさ。今は久秀を止める、あいつを止めにゃ、世が乱れ続ける……。
 わしらは何を失おうとも…様だけは、お護りせにゃならん」

 彼は評議場の隅に詰めているあの公家を見た。

「おみゃーさんの力を借りてもいいか?」

「無論じゃ! 麿が仲立ちしようぞ」

 それから数日と経たずに、ついに家は将軍家足利義輝の旗を天高く掲げて、松永家への宣戦布告を発令した。
秀吉の書いた檄文が中立国へと齎され、朝廷、公家にも波及した。
 あの公家が口にした通り、足利の旗の威力は大きく、日和見を決めていた国々と反松永一派が立ち上がった。
この動きを受けて明智家の本拠地は二の足を踏んだが、川中島の戦はすぐには終わらなかった。
始まってしまった手前、戦地では数多の情報の錯綜していた。
本当に将軍擁護を家が果たしているのかどうかが怪しいとされて、全く効果を得る事が出来なかったのである。
 だがそれに構ってはいられないと、家は急速に戦の準備を整え始めた。
家のこの反応を知り尽くしていたかのように、松永家の動きも迅速であった。
後方に封じた長宗我部、島津までもを動員し、の禄を食む者を尽く根絶やしにせんと彼は軍を上げた。

「幸村、半蔵。二人で本願寺に当たってくれ。
 松永家へ直接当たるのは、俺、左近、慶次、孫市だ。
 秀吉様に国元の統括をして頂く」

 戦支度を終えて評議場に皆が集う。
広げた地図を前に指揮丈を揮うのは三成だ。
それを秀吉は掌の動きだけで押し留めた。

「三成」

「はっ」

 控えた三成に対し、秀吉は言った。

「おみゃあさんと、左近、半兵衛はここに残るんじゃ」

「なっ!」

 二人が驚いたように顔を上げれば、秀吉は言った。

「兼続の結界を護る者も必要じゃ。これには左近が当たればええ。
 三成、おみゃーさんはわしが不在の間、の守護大名として、内政を切り盛りするんさ。
 外交面は半兵衛に一任する。川中島が陥落する前に、なんとしても松永久秀を討ち取るで!」

「御意」

 三成が礼をし、秀吉へと指揮丈を捧げた。
彼の手が指揮丈を掴んだのを確認すると、再び礼をして左近共々評議場を辞す。

「じゃぁ、そろそろ行こうか」

 慶次の声を受けて、幸村、孫市、半蔵が立った。
東西の軍事大国に挟撃を受けている家の正念場は今だった。

 

 

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三方向、同時戦闘、始まるよ!(20.02.24.)