二つのからくり

 

 

「少数で多勢に当たる時は…」

「火だねぇ」

「赤壁でも再現しろってか? 無茶だぜ、少なくともここは海上じゃない」

「全くだ」

 やれやれと慶次が額に手を当てると、砦の前に白馬を駆った兵が飛び込んで来た。

「慶次様、孫市様!!」

「んぁ?」

「どうした?」

 二人が視線を落とせば、兵は盆地を囲う山道を指し示した。

「御覧下さい!!!」

「「ん?」」

 二人が同時に顔を上げて真逆の山々を見やる。
するとそこに次々に軍旗が掲げられた。

「おいおい、こりゃ…」

「マジかよ。すげぇな」

 掲げられた旗の中に「忠」の文字が見える。
泣きついて来た公家の言った通りだ。
反松永の意志を持つ勢力が、この時を逃してなるものかと、続々と援軍を差し向けて来た。
明智領と松永領に挟まれる小国を主体としたその軍は、第三勢力である家が倒れれば次は我が身だと、死に物狂いらしい。物資、兵力に糸目を付けずに参戦の意を表明した。
 彼らの隊列には公家衆が用立てた金子でかき集められた牢人衆で構成された軍勢がある。
ザッザッザッと規則正しい歩みを続けた兵達の進軍は勇壮なものだった。
やがて左右の山道から下山した隊列は、兵の前に続々と並び、強固な陣を敷いた。

「誰ぞあるか!! 足利将軍の激に応え、宇喜多秀家着陣した!!!」

「ありがとうよ! 俺は前田慶次、本隊を預かってる!」

 砦に向い、若武者が声を張り上げ、慶次が答えた。

「総大将はどこにいる?!」

「入ってきな、中で話そうぜ」

 慶次が「こいこい」と手招きし、櫓から降りた。
宇喜多秀家は数名の腹心と共に砦に入り、この軍勢が松永久秀の巡らせた計略ではない旨を表明した。
想像以上の援軍を得て、松永軍とぶつかることになる義勇軍は、総じて七万の兵力を得るまでになった。
二十三万と七万では、約三倍の開きがある。
だがそれでも当初の三万よりはずっといい。死兵となる覚悟を纏って発った兵達は、まだ希望はあるのだと意気も新たに武具を打ち鳴らし、勝利を目指して天高く咆哮した。

 

 

【Side : 松永城】

「お断りします!! 誰が貴方のような方のお願いなんて!!」

 松永久秀の前に引き出されたは、眉を八の字に曲げて唇を強く噛み締めて顔を背けた。
上座に座す穏やかな面差しの男は、その秀麗な顔とは相反して狡猾だった。

「勘違いされては困る、君に選択肢などありはしない。私の手足になるしかないのだ」

「断ると申し上げています。私の夫は服部半蔵です。
 半蔵様が主と仰ぐのは様だけですわ。夫が違えぬ事を、妻が違える事はありません。
 どうぞ、この首をお取り下さいませ」

「…気丈な事だ。だがそれで君は後悔しないのかね?」

「え?」

「君には先にも言ったように私の手足になってもらわねばならない。
 それが叶わぬというのであれば…共にいた娘の安全も、君の主の命の保証もしかねる」

 扇を掌の中で遊ばせながら話す松永久秀の言葉に、の顔色が変わる。
の動揺を確認した久秀は口の端を歪めて嗤った。

「…確か、の姫君は甘美な眠りの中にあるとか…」

「…どうして…それを貴方が…?」

「どうして? 当然だろう? 私が、招いたのだ。かの方を、極楽浄土の夢の中へ」

「そんなこと…出来るはずが…」

 が小さな声で否定するが、久秀は相変わらず怜悧な眼差しで淡々と言葉を紡ぐだけだ。

「あるのだよ、私に出来ぬ事など、何もない。
 姫君の命は、今や我が掌中にある。生かすも、殺すも私次第だ。君に選ぶ権利など、端からない。
 どうする? 人生初の友を見殺しにするか? それも、まぁよいだろうが……。

 君の心は、そのような残酷な決断には耐えられまいな?」

 は顔面を蒼白にして息を呑み続けた。
ショックで言葉を失うに追い打ちをかけるべく、久秀は手にしていた扇で外を示した。

「…そうだ。君に、良いものをお見せしよう」

 が戸惑いを露わにすると、彼女の背を老齢の侍が軽く押した。
促されたは中庭を見ると、ぶるぶると震えだした。

見開いた瞳からは大粒の涙が零れ落ちた。

「そんな……嘘ですわ……どうして…? …どうしてなの……? ……さん…」

 余程ショックだったのか、はその場に平伏した。
黒光りする床板に爪を立てて、は泣きじゃくった。
泣き出す前に彼女が目にしたのは、真紅のからくり。
傷一つ付いていないであろうそれは、彼女を主と呼び共に苦難を乗り越えて来たの兄弟機に相違ない。

その弟とは、の為に刺し違える覚悟で戦い、言葉通り玉砕した。

「…なのに…どうして…!? どうして!! どうして貴方は、傷一つ付いていないのですかっ!!」

 嗚咽を漏らすの背に久秀の声がかかる。

「このからくりは実にいい。強靭であり、任務には忠実だ。
 しかし困った事に、このからくりは私を乗せようとはせず、本来の操作方法も私には分からない。
 だが君は違うな。このからくりと同じからくりを動かせる……私の言いたい事が分かるね?」

「嫌です!!! 絶対に、絶対に力なんか貸しません!!!」

「何、すぐに気も変わろう」

 の渾身の力を込めた拒絶を、久秀は意に介さない。
彼が手にしていた扇を広げてゆったりと仰げば、それを指示と認識した兵が別室に捉われていた梶を連れてきた。
 真紅のからくりの前に縄を掛けられた梶が押し出される。

目隠しをされている為に状況が飲み込めぬ梶は、不安気に首を回した。

「取ってやりなさい。何も見えなくては不安だろう」

 その言葉を受けて、梶にかけられていた縄と眼隠しが外された。
久秀と初めて対面した梶は、気丈にも眉根を寄せて真っ向から久秀を睨み据えた。
久秀はそんな梶の態度を鼻で笑い飛ばし、顎の動きで彼女の後方を示す。
梶が、ゆっくりと踵を返した。
 背後に鎮座する真紅のからくりを認知した梶の動揺は、以上に大きかった。

「そんな!! 馬鹿…な…!! 何故…何故じゃ…!!」

 ふらふらと進み出て、己の手に触れてそのからくりの所在を確かめる。
掌から感じたひんやりとした質感が、これが夢でも何でもない事を彼女に知らしめた。

「何故!! 何故貴様は壊れていないのか!!!」

 悔しさと悲しさに任せて拳を振り上げてボンネットを叩くが、からくりはびくともせず、のように言葉を紡ぐこともなかった。

「……殺せ…」

 久秀の声を聞き、からくりが躍動した。

「yes.sir.」

 泣き崩れる梶を軽く小突いて玉砂利の上へと転ばせる。
それから車体に搭載している連射可能な銃の照準を、梶へと合わせた。

「止めて!! 止めて下さい!!!」

 咄嗟にが叫ぶ。

「待て」

「yes.sir. 待機します」

「……殿、私は多くを願わぬ。ただ、あれを君のように手足の如く動かしたいだけだ。教えを乞いたい」

 久秀の声を聞き、梶が吼える。

!! そのような戯言、聞いてはならぬ!! わらわのことなどよい!!
 家康様が大事に思う様に害をなし、までもを殺めた男に貸す手などないわ!!
 乱世の梟雄よ、わらわの首を取るがよい!!」

 梶が叫べば彼女の周囲に向い数発の銃弾が撃ち込まれた。

「ひぃ!!」

 砂利が飛び散り、砂埃が舞い上がる中で、と同じ声を持つからくりが言う。

「久秀は貴方に発言権を与えてはいません。これは警告です。次は射殺します」 

「…!!」

「どうする? 私は、気が長い方ではないのだ」

 久秀の問いかけには握り締めた拳で床板を数回打ってから息を吐いた。

「……お受け致します……全て、私の知っている事は…お教え致します……」

「賢明な判断だな」

「ですから!! 梶様は国元へ、お返し下さい!!
 そして様の身にかけた呪いを、解いて下さいまし!!
 私、かような思いをしながらきちんとお教え出来るほど聡明ではありません」

「よかろう。梶殿はすぐに帰して差し上げよう。
 だが君の御学友の事までは請け負えぬな。梶殿の帰郷が精一杯の譲歩だ。観念したまえ」

 久秀が開いていた扇を閉じた。
真紅のからくりが銃を格納し、エンジンを切って沈黙する。

「そんな!!」

「…理解出来ぬというのであれば、この交渉は決裂だ。
 真価を引き出せずとも、このからくりは今私と共にある…その意味をよく考えることだ。
 すぐには結論も出せまい、しばし時間を差し上げよう。日が落ちるまでに、より良い回答を得たいものだ」

 配下の兵がと梶を引っ立てる。
それから二人は別々の牢獄に放り込まれ、苦悶の時を過ごすことになった。
彼女達に身に襲いかかっている現実を、家は当然のことながら、まだ知らない。

 

 

 座敷牢に押し込まれたは己の膝を抱え込んで牢の隅で泣いていた。
の事、の事、そして梶の事。
今まで穏やかに、時に流されるまま生きて来ることができた彼女には、あまりにも大きく重たい決断だった。

様……私……わたくし…」

 離れ離れに幽閉されている梶の事が気になる。
気丈な態度を崩さぬ娘だが、彼女はまだ十四。
酷い仕打ちを受けていなければよいが、捕虜となってしまった以上、それは避けては通れまい。
彼女の身を危険に晒さない為にも、久秀の持ちかけた取引に応じるしかない事は分かっている。
分かっているが、応じてはいけないのではないかと、心が歯止めをかける。

 の最後が思い出される。
常々は言っていた。
が護ることこそが全て、自身と、兄弟機の存在意義であると。

「けれども……さんの弟さんは……あの方に与している………どうして…? 何故なのですか…」

 悲しくて、辛くて、苦しくて、とめどなく涙は溢れた。
頬を伝った涙が、首から下げているお守り袋に当たり染みを作る。
そのお守り袋を、は白く華奢な掌で包み込み、泣き続けた。

「う…うぅ……さん……教えて下さい、私は…どうしたら…?」

 お守り袋の中には一枚の銀色の板が入っていた。
それはが梶に突き上げを食らい、城の中の座敷牢に叩き込まれる前にからもらったものだ。
あの時、は言った。

『これはメモリーカードです、念の為にお持ちください』

『めもり、かぁど?』

『記憶するものです』

さんの日記帳ですのね』

『正確には違いますが、そのように判じて頂いて構いません』

『日記帳なら、私達の事もきっと記録されていますね。ふふ』

『機嫌が良いですね、何故ですか?』

『だって私、様のお役に立てましたもの。それにさんともお友達になれましたもの。
 楽しい記憶がこうして日記に残るのは、とても嬉しい事ですわ』

 

 

- 目次 -