二つのからくり

 

 

『日記帳ではありません。そして私は貴方の友人でもありません。
 私は貴方の部下、貴方は私のマスターです』

『言葉はどんなものでも良いのですわ。さん』

『…理解出来ません…』

『その内分かりますわ』

『そうでしょうか? それに日記は形を失えば意味を成しません。喜ばれるようなものではありません』

さん、そうではないのですわ。思い出は色褪せるものではありませんの。
 日記は記憶を引き出しやすくする為につけるもの、本当の記憶は、心に残るものですのよ』

『心…ですか。やはり理解出来ません。私にはその概念はありません』

『頑固ですのね〜』

『頑固なのではありません、仕様です。私はクイーンを護る為に作りだされたからくりです。
 それ以上でもそれ以下でもありません。任務こそが全てです』

『そうでしたわね、これからは皆さんと一緒に頑張りましょうね』

『その意向には同意します』

 他愛無いやりとりが、無性に思い出された。
傍目から見れば意志疎通が図れたのかどうか甚だ疑問が残るやりとりだ。
だがからすれば、感じ方の差異こそあれど、充分だった。

あのの弟であるのならば、の為、の為に尽力してくれると信じていた。
けれども現実はそうではなかった。が自慢とした弟がを脅かし続けているのだ。

「……どうして……どうしてなの…」

 呻き、嘆く間にも時は刻一刻と過ぎて行く。
西の空に陽が傾いて行く。
刻限が迫る。
 牢に乾いた足音が響いた。タイムリミットだ。

「心は、定まったかね?」

 固い格子の向こう側から、久秀に問われる。
言葉に詰まるの目の前で、久秀は小さく指を打ち鳴らした。
先程の背を押した老齢の武士が何かを彼の前へと差し出した。
 漆黒の盆に載せられたそれに、が怪訝な顔をする。
の意識が自分に向いたのを見定めた上で、久秀はその盆の上からそれを取り上げて、床へと向けて落とした。

「…!!!!!」

 それは、梶が付けていた着物の帯。

「梶様に何を!!」

 年端もいかぬ梶の身に、どのような凶事が及んだというのか。
が格子戸に噛り付けば久秀は口の端を吊り上げて皮肉げに笑ってみせた。

「生憎、子供に興味はない。だがこの寒空の下、襦袢一枚で池の中にいては…何時病を得るか分からぬな?」

「なっ!! どうしてそのような酷い事が出来るのですか!!!!」

「あの娘の言葉を借りるとすれば、私は"乱世の梟雄"だそうだ。これくらいは平然と出来て当然だと思うが?」

「もう…止めて…ください…! …酷い事、しないでください…」

「それは君次第だ」

 久秀が一歩強く踏み込む。
彼の足に踏まれた梶の着物の帯が歪む。

「どうする? 次は…あの娘の腕をもぐか、それとも美しい眼をくりぬくか?」

 が恐怖に震え、歯がガチガチと鳴った。

「それとも……君の御学友に、もっと深い夢でも見せようか?」

「…………分かりました……貴方の…仰っていた通りで…宜しいですわ……。
 ですから…梶様を……城へお帰しください!!!」

 の屈服を受けて、久秀は満足そうに頷いて、身を引いた。
陽の落ち切った牢の闇の中に取り残されたは、己の決断を悔い、怖れて、大きな嗚咽を漏らした。

 

 

 翌朝、日が昇りきるよりも早く。
久秀とは二人だけで真紅のからくりを格納する為だけに造られた巨大な蔵の中にいた。
と違い時空すら歪めて遠距離跳躍をする事が出来る真紅のからくりは、久秀の述べた通り、家へと梶を送り返し、瞬時に帰参した。
その時の様子をきちんと映像で見せられて、は一時の安堵を得ものの、彼女自身は未だ囚われの身。
自分の命が質草にされているのであれば、自害も辞さないところだが、久秀はの命すら掌中に収めている。
自分がここで死を選ぼうとも、家にとっての活路は見いだせるものではない。
 今は雌伏の時、時は必ず巡り好転する。
その瞬間を信じて待つしかないのだと、は華奢な肩を落した。

 

 

【Side : 城】 

 城の中庭に突如として現れたと同じフォルムの機体の後部座席から、全身濡れ鼠、肌襦袢一枚で病を得たような状態の梶が投げだされた時。その場に居合わせた女中衆は、皆いい気味だと陰湿な笑みを湛えた。
へ向けた憎悪の罰が当たったのだと、当然だという眼差しだった。

「梶殿ではないか、これは一体…?」

 そんな意地悪な視線を霧散させたのは、療養中の立花ァ千代だった。
彼女は廊下から中庭へと降りると、羽織っていた羽織を梶の体に被せた。
恥じらう梶を強く抱き止め、周囲に向い一喝する。

「何をしている! 早く湯の支度をせよ! 佐治を呼べ!!」

 彼女の一声で漂っていた異様な空気が揺れた。
梶一派の末席の女中が慌てて場を辞したが、まだ多くの者がその場から動かない。
 ァ千代は慈愛の理念がある領にありながら、このような空気がある所にはあるのかと不快感に顔を歪めた。
ァ千代が怒りを言葉に乗せようと息を吸った次の瞬間、その異質な空気は崩壊した。

「うっうあぁぁぁぁぁぁーーーんっ!! ひっく…うっく…う、うう…ふぇぇ…っ」 

 ァ千代に庇われた事で抱えていた緊張の糸が切れたのか、梶が大声で泣き出したのだ。
気丈に振舞っていた理知的な姫の泣き声は、幼子の号泣と大差はなく、見ていた者達の心を詰った。

「か、梶殿、どうした? 何か怖い事でもあったのか?! 誰に何をされた!?
 言ってみよ、立花が成敗してやろう」

 こういう時の対応に慣れていないのか、ァ千代が大きくうろたえる。
そんなァ千代の着物の袖をしっかりと掴みながら梶は息も絶え絶え、あった事の全てを打ち明けた。
嗚咽混じりのたどたどしい報告が山場を迎える頃には、いい気味だと見物に徹していた女中達も態度を改めた。
彼女のことを色眼鏡で見ていた自分達にも非はあったのだと、痛感せざるえなかったからだ。

「梶様!! おおお、なんというお姿に!!」

 呼ばれた佐治と親衛隊に保護され、梶が室へと移動する。
静養中の為に政から離れていたァ千代だったが、ァ千代とて立花家の当主を務める身、彼女の目は節穴ではない。
この非常時にまで病を理由に我関せずを貫こうなどとは微塵も考えてはいない。

「誰ぞ、あるか!」

「は、はは」

「城へと参ずる、手配せよ!」

 それ故、彼女はすぐさま城へと参内した。

 

 

【Side : 本願寺】

 城に残した配下からの伝令で、愛妻を捕縛された事を知った半蔵は珍しく怒りを露にしたが、次の瞬間には、伊賀忍頭領としての仮面を被った。
彼の苦い思いを察するように、幸村は言葉少なく彼を慰めた。

「本願寺を落とせば状況は変わるはずです。
 殿を残したという事は、彼には殿に手出しできない理由があるはず…」

「分かっている…心配は無用だ」

 幸村・半蔵の進軍を囮に、秀吉が裏山から炭売りの密告者を装って本願寺へと潜入する。

「わしが炭を籠に詰めている時に、の奇襲隊がこちらへ兵を進めているのを見ましたわ〜」

 秀吉の密告を受けた本願寺の僧兵達は慌ただしく動き始めた。
兼続との法力合戦に残る者。
寺を護るべく、武器を手にとって奇襲に備える者。
役回りは十人十色だ。
 だが、法力合戦に取り組む僧兵の数を減らせば、それだけ兼続の負担は減るのは自明の理。
代わりにこれからこの地は死地となるだろう。

『幸村、半蔵、頼むで〜。今回の策はおみゃーさんら奇襲部隊の働きが要じゃ!!』

 本願寺の僧兵の意識を体よく幸村・半蔵に向けた秀吉は、炭を運ぶふりをしながら本願寺の中に身を隠した。
彼の目的はただ一つ、顕如の解放だ。

 

 

【Side : 松永城】

 幸村と半蔵が奇襲隊を率いて本願寺を取り巻く頃、は真紅のからくりと共にいた。
頑なに久秀の乗車は拒否していたからくりだったが、の後継機だけあって基本的な部分はと同じだった。
故にがマスターコードを口にすると、反意を示す事なく、あっさりとドアを開いた。
 を屠った兄弟機に身を投じる。
数多の感情が彼女を苛んでいるのか、動きは芳しくはない。

『どうして? このようなことに…? 私は……どうしたら……よいのですか……』

 城の白壁には、からくりが映し出したの姿がある。
悪夢に晒されているのか、苦しげだ。
こんな姿をさせながら、あの男は「極楽浄土に導いた」と嘯いた。
彼の考えることが理解出来ない、神経を疑わずにはいられない。
 だが同時に、あのような事を平然と出来る男であればこそ、彼の機嫌を損ねることは出来ないと痛感する。
自身に凶事が降りかかることを避ける事は勿論、今はまず、の助命が先決だ。

『…様…』

 映し出される映像には音がない。
だが傍に仕えて数年、見せられる映像からが呻いていることが容易に分かる。
自分を大切にしてくれたが苦しむ姿を見るのは、にとっては最大の拷問に等しい。
それ故、映し出されたの顔が苦悶に揺れる度、彼女の繊細な心も強く軋んだ。
 だが久秀にはの感傷は、瑣末なものでしかないようだ。
彼は顔色一つ変えずに、からくりの前に佇み、が屈服するのを待っている。

「…ねぇ、貴方。私は貴方のお兄様に当たる方に導かれましたの。
 何の力も持たぬ私が、貴方のお兄様の支えを経て、皆様のお役に立てるようになりましたの。
 さんは言いました。本来は、貴方がそうあるべきだったと。貴方を誇りだと、言っていた……」

 運転席に腰を掛けて、座席を調節をしながらは独白し続けた。
頼みの綱は、もう他にはなかった。

「…貴方にも、きっとさんのように、心も、考える力もあるはずです…。
 今はただ、忘れてしまっているだけ…私はそう信じています…」

 ハンドルを握り、キーを解除して駆動させる。

「ねぇ、貴方、さんの遺志を継いでは下さいませんか。様を、私を助けて下さい…」

 それと同時に希うように頭を預ければ、車内にと同じ声がした。

「理解出来ません…指令コードを入力して下さい」

「……さん……様……わたくし、どうしたら……」

「認識できません…指令コードを確認して下さい」

「………さん……」

 涙ぐみながら姿勢を改めようとしたが、視線を落とした。

「…ブラックボックスをオープン…」

 独白すれば、ほどなくギア部分の下から小ぶりなケースがせり上がってくる。
はその箱が開くのを待った。
開かれた箱は空白で何も収まってはいなかった。

「………これは、きっと貴方が持つべきものですわ…」

 首から下げているお守り袋から、銀色の鍵を取り出して、そこに置く。
程無くブラックボックスは閉じて、車体の奥深くへと姿を隠した。
 の一連の行動を見ていた久秀は、全てが必要な手順と判じているのか、何も言いはしなかった。
ただ彼女が顔を上げて一つ深呼吸をした時にのみ、一言だけ問いかけた。

「もう、いいかね?」

 車外からの問いかけに、は小さく頷いた。

「はい、まずは、隣にお座り下さい。私が知る全てを、お教え致しますわ」

 

 

- 目次 -
嵐の前の静けさ…。(20.03.15.)