立花宗茂の暴走で大谷吉継は手傷を負い、陣中から動けぬ身となった。
一方、石田三成もまた、陣中から動けなくなった。
味方と敵、二人を戦闘不能に追い込んだ立花宗茂はどうなったかと言えば、雑賀孫市の手によって捕縛され、城へと護送された。三成を追い詰めた時に、戦場の中心で離れ離れの嫁に対する愛を思いきり叫んでいたから、その嫁とくっつけとけばどうにかなるだろうとは、捕らえた孫市の言葉だ。
宗茂を失った立花軍を今誰が率いているかと言えば、立花ァ千代の父・立花道雪だ。気は抜けない。
宗茂の捕縛で敵戦力を大幅に削いだかと思えば、そうは言い切れない陣容を立花道雪は敷いて見せた。
その上松永家の本陣に、突如として真紅のからくりが現れた。しかもそのからくりの中には虜囚とされている服部の姿と、戦装束に身を包んだ松永家当主・松永久秀の姿があった。
真紅のからくりから一人で降りて来た久秀の前に、吉継が膝をついた。
「…面目次第もありません…」
怪我を押して、当主の前へ赴き頭を垂れた吉継を一瞥した久秀の目は想像以上に冷たい。
主家すら迷わずに滅ぼした久秀だ。部下であろうと何であろうと使えぬと判じれば、簡単に斬り捨てて不思議はない。
期待して軍を預けられたはずの吉継でこれだ。 総大将を任された自分は一体どんな扱いを受けるのかと、蒲生氏郷は息を呑んだ。
「これだけの軍勢を与えて、落とせぬか。汝らは緩いな、それとも友に絆されでもしたか?」
「い、いえ…そのようなことは…」
「もうよい。下がれ。大谷。これよりは私が指揮する」
「はっ」
吉継は深く頭を下げた後、己の天幕へと下がった。
国へ帰らなかったのは、一重に再出撃の機会を窺う為だ。 この戦に、恐らく秀吉も出てくる。三成もそう言っていた。
もしこの戦で秀吉が久秀に一泡吹かせるようなことがあれば、久秀の怒りを買うに違いない。
そうなった場合、松永軍が義勇軍を打ち破った後に秀吉に待つ未来は、登用より斬首の可能性が高い。
その結末を回避するには、豊臣恩顧の将の手柄による相殺しかない。
『秀吉様の事だ…必ずあの者に辛酸を舐めさせるはず…
もしかすると、もうやった後かもしれない…』
そんな事は起こりえないと断言出来たらいいのだろうが、吉継には予感がある。
秀吉は必ず久秀に一泡吹かせる、間違いなく苦渋を舐めさせる。
その予感があればこそ、国元に戻って静養を…などとは冗談でも口には出せなかった。
身体に受けたダメージは想像以上に大きくて、すぐに戦線復帰は見込めそうにない。
ならばこそ、吉継は自分の幕舎の中で機が再び巡りくるのを待つ事にした。
「さて…藤堂、黒田、細川をここへ」
「は、はい!」
総大将だったはずの氏郷が、今や伝令として飛び出してゆく。
蒲生氏郷とて才溢れる将であるが、松永久秀の前となるとそうはいかない。
格の違いとでもいうのだろうか、二人のまとう空気の質が違い過ぎた。
片や手柄を欲する若き将と、片や手柄よりも実を取って来た非情な簒奪者では比べる方が間違いなのかもしれない。
久秀の出現で、松永家の陣容も、兵が纏う空気も一変した。何処か機械的になった。
先駆け争いでこじれていた藤堂・蒲生も、互いを気にしていられなくなった。 手柄こそ全て。大将首こそが全てになった。
彼らは久秀が下す指示通り、忠実に動いて、戦場で武勇を奮った。 宇喜多秀家が指揮する横陣が崩れる。
じわじわと物量で戦線が圧し上げられてゆく。
一進一退だったはずの戦いが、完全に防衛線の様相を呈したのは、久秀が見せる軍略のせいだ。
どういう訳なのか、彼はまるで天から見下ろしてでもいるかのように、義勇軍の陣容を知っていた。
どこに誰がいるのか、どの陣・砦を誰が指揮しているのかを理解していた。
守る相手に合わせた戦略を持って、義勇軍を圧し潰してきた。 こういう時、物言うのがゲリラ戦だ。
ところが、それを得意とする雑賀衆も、松永軍が差し向けて来た一軍を相手に苦戦し始めた。
苦戦する理由は本隊と全く同じで、山間に潜んでいるはずの雑賀衆の位置が、仕掛けた罠も含めて、全て久秀に見抜かれていたのである。
「マジかよ…ったく…こんなんありえねーだろ!」
次々と仕掛けた罠を迂回され、時に壊されて、雑賀衆は追い込まれる。
このままでは包囲殲滅されかねない。
起死回生の瞬間が巡りくるのを信じて待ちながら、雑賀衆もまた、山間の中で防戦に徹するようになった。
「雑賀衆、山に封じました」
「ご苦労。次は手負いの狐の首を狩ろうか。彼は何処にいるかね?」
久秀が義勇軍に対して先手先手を打てたのは、全てこの真紅のからくりのお陰だ。
どうやっているのかは知らないが、このからくりは松永軍と義勇軍がぶつかり合う大地の全容を把握していた。
誰が何処にいるのか、何をしているのかを、松永軍本陣に居ながらにして見抜いて、逐一久秀に知らせたのだ。
「サーモグラフィーに切り替えます」
天に打ち出したままのCubeが目の代わりを務める。
電脳世界で疑似的な戦場を再現し、グリッドで両軍を管理。 幾つものシュミュレートを高速でこなして、最適解を導き出す。
その上で達成可能な戦略のみを進言した。
「検索対象・石田三成」
身体的特徴を使い、目標が何処にいるのかを検知する。
「発見。本陣ではありません、雑賀衆と連携可能な東の砦に身を隠しています」
「そうか、藤堂に奇襲させよ」
報告を受けた久秀が下知を飛ばす。 また一歩、義勇軍が圧される。
着実に、冷静に、弱い所を突いてくる松永軍の戦い方に、宇喜多秀家が操る軍が動揺する。
本隊と違い、防戦経験浅い援軍では無理もない。 ここぞという所で、肝が据わり切らないのだろう。
「秀家! あんたらじゃ分が悪い、軍を下げな!! こっからは俺等の領分だ!!」
じわじわと迫りくる敗戦・死の予感に怖じる事なく吼えたのは、前田慶次。天下御免の戦人だ。
「ここは、敗戦請負人と名高い俺が敵の鼻っ柱、一発挫こうじゃないか!!」
悠然と進み始めた慶次率いる本隊の軍行に、横陣を敷いていた兵達が道を開ける。
「あんたらは後詰を頼むぜ」
「う、承った!!」
「なぁに、こっちとら防衛戦は得意中の得意だ! 見物してな!!」
豪快且つ自信に満ち溢れた慶次の言葉に、悲壮感に包まれていた援軍兵が表情を変えた。
期待に満ちた多くの視線を背に受けて、慶次を先頭に騎馬隊が攻め上がった。
武田騎馬隊に劣ろうとも、彼らから師事を受けた騎馬隊の攻めは見事なものだった。三成を狙って進んでいた藤堂高虎こそ捉えることは出来なかったが、彼の行進を後押ししようとする細川隊の戦意を見事に挫いて見せた。
細川隊の救援に松永軍から新たな小隊が派遣されてくる。 それすら慶次は軽くひねって見せた。
策では切り崩せぬ圧倒的な武勇が彼の持ち味であるから、当然の結果だった。
「見事!! 流石慶次じゃ〜〜!!!! いよっ、負け戦請負人!!
今回も派手にひっくり返してくれるんじゃろ? 期待しとるぞ〜〜〜!!」
慶次が操る松風と騎馬隊が戦場を所狭しと引っ掻き回していると、戦場北東の山道から頼もしき援軍が現れた。
率いるのは本願寺を攻略した豊臣秀吉、真田幸村、服部半蔵だ。
秀吉が指揮する本願寺奇襲部隊の後方には、鉄棍、薙刀、槍を備えた本願寺の僧兵隊が続く。
「本願寺、これより参戦致す! 義勇軍に御味方し、この地に蔓延る魔を払ってしんぜよう!!!」
血生臭い事は好まぬ。
が、松永久秀のこれまでを思えば看過も出来ぬと、顕如は腰を上げた。
「義勇兵よ、これよりは本願寺が助太刀する!! 意気上げい!!」
戦場になだれ込んできた援軍のお陰で、再び義勇軍の陣容は変わった。
松永軍22万に対して義勇軍9万。数の上ではまだまだひっくり返せない。 だが本願寺が義勇軍についたという事実が大きい。
これで在野に身を置く教徒の参戦も、起こりえる可能性の一つとなった。
「本願寺…私に歯向かうか…」
「い、如何致しますか?」
本願寺の参戦に、松永家の陣に身を置く将兵が動揺を露わにする。
「そうだな…」
『天に愛されるべき者は一人でなくてはならぬ。神も仏もこの世にいはしない。
民から支持されるべきお方は、我が君唯一人でなくてはならぬ…』
神や仏を敬う者とは戦えぬと戦意喪失する将兵の前で、久秀はどこまでも冷静であり、現実主義だった。
「本願寺を優先的に叩け」
「し、しかし…!」
「そも、僧がなぜ武装する? あれらは僧を名乗る山賊のようなものよ。
有象無象が加担する気がなくなるように、徹底的に叩け。 義勇軍は後で良い」
裏切りはするが、自分への裏切りは許さぬとばかりに久秀は下知を飛ばした。
この命令は本陣の守りに徹していた田中吉政軍と大友宗麟軍まで動員する命令となった。
「猿が来たという事は、君の夫もここにいるのだろうね。再会する覚悟は出来ているかね?」
久秀は真紅のからくりの中に座るを見やった。
が涙を眦に溜めて、下を向く。
「……止めて…もう…こんなことは…止めて下さい……」
は久秀ではなく、真紅のからくりに訴えていた。
「貴方はこのように戦闘に関わってはならないはず、そのようなこと、様も望んでいません!
ねぇ、聞こえているのでしょう?? 貴方のお兄さんであるさんは、隠密である意味を
よく理解しておいででした。弟に当たる貴方が何故このような真似をするのですか!!」
の呼びかけに真紅のからくりは答えない。
「忍には忍の矜持があります! その矜持を捨てたら、破ったら…貴方は隠密とは呼ばれなくなる。
それで貴方は良いのですか。思い出してくださいな! 貴方は何の為に、ここへ送られたのですか?」
無機物に懸命に訴えかけるの姿は、傍目からすれば気のふれた娘の哀れな独り言に見えただろう。
だがの言葉に心動かされたのは意外にも久秀だった。
「止めておきたまえ。このからくりは、既に意志を持たない」
「え?」
「君と邂逅する前に、私が少し弄ってね。今やこのからくりは私の従者なのだよ」
「そ…そんな…」
涙ぐむの前に立ち、久秀がサイドガラスを小突けば、音もなくサイドガラスは開いた。
久秀の指先がの眦から伝う涙を拭った。
「からくりになど感情移入しない事だ。これは使う者によって何にでもなる。ただの道具なのだから」
見せる仕草とは裏腹に、久秀の言葉は冷たい。 まるで鋭利な刃のようだ。
「からくり、その娘をそこから解き放たぬようにな」
「yes.sir.」
久秀は真紅のからくりから離れると、緩やかに身を翻した。
「本隊が圧されているな。どうした? からくり。計算が合わぬか?」
「……再計算中です…」
「無駄だよ。お前がいくら算盤を弾こうと、計算違いは起きる」
『…私がお前の支配を逃れたように、な…』
「特に傾奇者のような輩は、数字では計れない」
久秀が利き手を緩く振った。 篭手に隠れた銀糸がふわりと大地に落ちた。
「出る」
「はっ」
ゆるりゆるりと久秀が歩き出す。
「平蜘蛛、傍へ」
呟くように命じれば、真紅のからくりから鈍色の球体が飛び出して久秀の肩に寄り添った。
鈍色の球体にはCube-Aと刻印されていた。
松永軍の主力と軍の主力がぶつかり合う戦場に、松永久秀が自ら現れたことが秀家には信じられなかった。
22万もの軍勢を持ちながら、総大将自ら打って出る意味が分からない。 慢心が生んだ失策かと思えば、そうではなかた。
久秀は武勇にも秀でており、彼の身のこなしを見れば、確実なる勝利を求めて出陣したのだと嫌でも理解した。
久秀は細剣と銀糸を巧み操り、邪魔者を次から次へと斬り捨てる。
細剣はまだしも銀糸の軌道が読めずに多くの者が苦戦し、屍へと姿を変えた。
久秀個人の武技も掴みどころがなくて厄介だったが、更に厄介だったのが追随する奇妙なからくりだ。
久秀のサポートに徹するこのからくりのせいで、久秀に攻撃が届かない。
からくり―――Cube-A―――は時に盾になり、時に久秀を瞬間移動させながら、彼の働きを支援し続けた。
やがて秀家の操る軍の一角が久秀一人に突破された。
久秀は中央で暴れる騎馬隊には目もくれず、援軍として現れた本願寺の僧兵隊を目指した。
「本願寺、役目ご苦労。汝らにはここらで歴史から消えて貰おうか」
僧兵隊に斬り込んで、次々に屠る。 止めきれぬ僧兵隊の隊列が脆くも崩れた。
久秀の操る細剣が、僧兵隊の指揮を執る顕如へと迫る。
「おお…!!」
戦働きには全く不向きな顕如は、久秀の繰り出す攻撃を避け切れそうにない。
顕如の首が落ちると誰もが息を呑んだ刹那、久秀の細剣の軌道が変わった。
振り込まれた細剣の一撃を横へと反らしたのは、真田幸村の炎槍素戔鳴だった。
「真田の槍、お見せしましょう!」
幸村の救援すら読んでいたのか、久秀は動じない。
「平蜘蛛、露払いを」
「yes.sir.」
「また、このからくりか!! だが、退きはしない!!」
幸村の相手をからくりに押し付けて、久秀は僧兵の輪の中に引き込まれた顕如の首を執拗に狙った。
『他の将より、お前のような指導者の方が始末が悪い。我が君の世には、神も仏もいらぬのだ。
崇められるのは我が君、一人で良い』
筋骨隆々な僧兵が鉄棍を奮い、必死で久秀の進軍を押し留めようとするが上手くいかない。
「眠りたまえ」
久秀の利き手が動く。
篭手から銀糸が飛び出して障害となる僧兵を大地へと縫い留めた。
「全ては夢幻(まぼろし)だ」
銀糸が集い、香炉の形に変わった。
溢れ出した黒い霧に巻かれて、僧兵が悶え苦しむ。
「黄泉路を行くがいい」
久秀が利き手で虚空を薙げば、香炉が業火を巻き上げて吹き飛んだ。
阿鼻叫喚地獄絵図。香炉から溢れた炎が森を焼く。 火炎と熱波に陽動されて僧兵達の守りが完全に崩れた。
「うぐっ!!」
それを待っていたように久秀は利き手を小さく動かした。
宙を泳いだ銀糸は、僧兵の間を縫うように走り、顕如の額を貫いた。
「敵将、屠ったり」
落ち着いた声で告げて、久秀は身を引いた。
幸村の足止めをしていたからくりが、瞬時に移動してきて久秀の背に寄り添う。
「平蜘蛛、飛ぶぞ」
「yes.sir.」
からくりが振動する。
幸村が諦めずに打ち込むが、それより早く久秀は戦場を瞬間移動した。
彼が次に身を投じた場所は戦場の真っただ中、前田慶次が惜しみなく武を揮う大地だった。
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