真田幸村の胃潰瘍になりそうです

 

 

 翌日、左近の手を借りてようやくまともに着物を着たは、彼女に膝を折った三人の家臣から見たら奇行としか言えない行動力をまた見せた。

「お、お助け下さい!!」

「ん? どうしたの?!」

「は、はぃ、大通りの飯処で揉め事が…」

「そう。で、なんでそれで城に駆け込んでくるの? 番屋があるはずでしょ??」

 真っ青な顔をして駆け込んできた民の陳情を受けたのは、だった。
彼女は今、正門の前に立っている。

兵糧の納められた蔵で、自分の目で積み上げられた俵の数を確認し、痛みかけている物だけを抜き出して印をつけて、その取り扱いについて慶次に頼んで来たばかりだ。
 財政難であれば、売れる物は売る。抑えられる支出は出来うる限り抑えるをモットーに始まった国庫改革。
現代人でもあるの考える事は、にとっては普通でも、この時代の者にとっては異例以外の何物でもなかった。
何しろ君主と名がつく者は、大抵は支出を抑える際、武力で軽く鎮圧出来る者から搾取して帳尻を合わせる事が多い。
だがにはそうした思想自体がなかった。民から搾り取るというのなら、それはまず公人が出来うる限りの努力をしてからだという考えに基づいて行動していたのだ。
 襖を売り、屏風を売り、米の処分方法も一先ずは決めた。
次に出来る事はなんだろう? と考えながら歩みを進める。

廓を曲がり、城の中へと入るべく正門の前へと出たところで、陳情にきた金物細工屋の番頭に、城仕えの女と間違えられて泣きつかれたのだ。

「い、いえ…そ、それが…その…さ、騒いでいるのは、お役人様の方で…」

「ハァ?! 何それ、どういう事!?」

「い、何時もの事なんですが…」

「何時もの事?!」

「は、はい…ご存じありませぬか?」

「…分かった、ちょっと待ってて。責任者呼んでくるから。それと事情は歩きながら聞くわ」

「は、はい!! お願い致しますっ」

 フットワークが軽いのか、は踵を返して城の中へと駆けこんで行く。
それから数分と経たずに幸村を見つけて手を取ると、はすぐに元来た道を引き返した。
歩きながら事情を説明すれば、幸村は大層驚き、また同時に自分の力不足だと表情を厳しくした。

「申し訳ありませぬ、様…私が統制していながら…」

「うん、そうかもしれない。でも幸村さん元々この国の人じゃないんでしょ?
 なら私と同じ新参者よね。って事は、暴れてるそいつ自身の人格の問題よね。気にしなくていいよ」

 どうやらは独特の考え方を持っているようで、少しも幸村を咎めようとはしなかった。
お叱りを受けてもおかしくないのにさらりと流されて、幸村は戸惑う。そんな幸村に、は言う。

「まずは現場よ、ちゃんと見に行きましょう」

「え、あ…様も行かれるのですか?! かような場へ何も自ら」

「あのね、この前の誘拐事件じゃないけどね、ちょっとこの国、治安悪すぎるよね?
 いい機会だから、そのアホな役人には見せしめになってもらう。
 幸村さんには、管理者として、その責任も一緒に取ってもらう。いいから、ついて来て」

「は、はい…」

「お待たせ、番頭さん」

 飯処の向かいに住むという番頭の元へと現れたのは先程の女とまだ若い武者一人だ。
彼は明らかに「だめだ、こりゃ」と顔を顰めた。

「こらこら、人を見た目で判断しない。この人、凄く強いんだから。きっと、ね?」

「え? あ、は、はぁ…どうでしょうか…」

『……だめだ…もうこの国は終わりだ…』

 煮え切らぬ若武者と彼女の態度を見る限り、番頭の認識では幸村は尻に惹かれている婿養子というところだろうか。
本当にこんなメンツでどうにかなるものだろうか、と疑念が湧き上がる。
 風の噂では新たな主君・には前田慶次を始めとした優秀な将が膝を折ったと聞いた。
悪徳商店へ潜入捜査をして壊滅させたりと、本人は大層なじゃじゃ馬のようだが、それらもきっと慶次達優秀な将の働きがあって、初めて成し得た事だろう。
正義の味方に憧れる世間知らずな姫の戯れの一つかもしれない。

 遊び感覚で勧善懲悪を目指す新君主といい、そんな新君主に取り入ろうとしているようなこの若夫婦といい、この国の公人はどうかしている。このような者達では、あの男には到底太刀打ち出来ないのではないか。
歎願するだけ無駄だったか。またきっと主は逃げだし、密告した者には、執拗な仕返しが待っている。明日は我が身、そろそろ本当にこの国から出ることを考えねばならないのかもしれないと、考えを飛躍させて、番頭は肩を落とす。

『いや…だが、しかし…』

 悪政による財政難が続き、これという者もいなくなったこの地では、このような若夫婦であっても、取り組もうとしてくれているだけまだマシだろうか。いや、でも、出来る事ならば…この二人より、猛者として名高い前田慶次や真田幸村の武に肖りたいというのが、本音なのだが…。

「ほらほら、二人とも、考え事してないで、さっさと現場に行きますよ」

 取り組む前から落胆する番頭を急きたてて、は幸村と共にひなびた城下町を突き進んだ。
しばらくして、件の飯処が見えてくる。
どうやら番頭が駆け込んだ時から、更に騒ぎは大きくなっているようで、往来には人だかりが出来ていた。
 幼子を抱えて日本家屋の柱の陰に隠れる女達。
年寄りは軒先に並ぶ店へと逃げ込み、窓からこっそりと動向を見守っている。
止めはしたい、けれども帯刀している武士に逆らう事で無礼討ちにでもあったら、明日からの自分の家族の食いぶちはどうなる? そこを考えれば、助けてやりたくても到底手出しは出来ない。
 虐げられる者の悔しさと怒りを顔に貼り付けた若者だけが、暴れる警吏と一方的に殴られている飯屋の店主の事を遠巻きに包囲して眺めているという状態だった。

「なんだ?! 貴様ら!! 何か文句でもあるのかーッ?!」

 抜刀こそしていないが、警吏は吼えて周囲に睨みを利かせる。
怯んだ人々が一、二歩、下がる。
いちゃもんをつけられているらしい店主が逃れようと腰を浮かせるが、気がついた警吏が店主の事を蹴り飛ばした。

「最悪…こんな真昼間から酔っちゃってんのね」

 人だかりの隙間から様子を見たの独白に、野次馬が答えた。

「あの人は何時もああだ」

「へー、警吏なのに? いい御身分ね」

「お嬢ちゃん、んなこと言っちゃ駄目だ。あんたまでひでぇ目にあうぞ」

「どんな?」

 問いかければ、野次馬の目がへと向いた。
じろじろと上から下まで無遠慮に眺めた人々は、をどこぞの商店に嫁にきた他国の娘と思ったようだ。

「そうさな、今あそこで蹴られてる店主ンとこみたいに、店に入り浸られて嫌がらせられるぜ」

「いちいちやる事がセコイわね。ところであの人はなんで絡まれるようになっちゃったの?」

「ああ、俺、それ知ってるよ」

 商い道具を炉端に下した大工が言った。

「奴さんの食いたかったつまみをね、先に来てた客が食っちまったんだよ」

「それで、八当たり?」

「ああ。先に来てた客ってのが、お侍様じゃなかったからな…無礼だとかなんとかって…」

「昔はあんな人じゃなかったんだがなぁ…」

「もういい、分かった」

 ふぅと溜息を吐いたは、考えるように眉を寄せた。

「幸村さん。ちょっといい?」

「は、はい」

 振り返って、は頭一つ分は上にある幸村の顎へと手を伸ばす。
ガッ!! と音でも立てるような勢いで、幸村の顎を掌で持ち上げると、は人差し指を差し出して、幸村の喉仏の上を軽く突いた。

「?!?!?!?!?!!?」

 意図が分からず、目を白黒させる幸村に対して、は淡々と問う。

「ねぇ。ここってさ、突かれるとやっぱ痛い?」

「え、あ…はい」

「だよね、よし。じゃ、今回の刑罰はこれでいこう」

「はい?」

 満足したのかは「有り難う」とだけ言って身を引いた。
それから続いて、きょろきょろと辺りを見回して、掌に収まるサイズの石を見つけると拾い上げた。

「あ、あの…」

 どうするもりなのか? と聞かれる前にはずんずんと歩き出す。
周囲の視線が、中心地で店主を蹴りまくる男の後ろ姿から、進み出て来ているへと動いた。

「ひぃ!! お、お許し下さいッ!! どうか、どうか!」

 可哀相に、鼻血の出ている店主は、己の頭を庇って必死で許しを乞う。
けれども彼を蹴りまくる男は聞く耳持たずという様子だ。
店の戸を壊し、備品を路上に投げ出して、暴れまくっている。

「許してほしけりゃ、誠意を見せろよ!! あんな不味いもん食わせやがって!! 差し出すもんがあるだろ!!」

「いい加減にしろ」

 ガッ!! という音でもなりそうな勢いで、酔っぱらいの肩を掴んだは、彼を振り返らせると同時に
男の頬をぶん殴った。

当然、野次馬は唖然とするし、幸村とて硬直している。
殴られた男は酔っていたせいもあってか、足がもつれて派手に大地に頭から突っ伏した。

「全く…警吏のくせに器物損壊の上に恐喝罪の現行犯だなんて、世も末ね。
 それと、あんた今、この瞬間からクビだから。警吏でもなんでもないから」

 掌の中に忍ばせていた石を放り出して己の手を振るの声に、助けられた店主は目を丸くしっぱなしだ。
対して酔っぱらっていた警吏はというと、わなわなと震えだした。
侍である自分が、警吏でもある自分が、往来で女ごときにに辱められたと、一気に頭に血が昇ったようだ。
男は立ち上がると同時に、抜刀しようとした。
 我に返った幸村が、駆け出した。
彼は炉端に転がる暖簾の際を足で踏んで起し、あっという間に掴むと、男の喉元へと切っ先を突きつけた。

「その刃を抜けば、容赦はせぬぞ。誰に刃を向けているか、分かっているのか」

 低い声で釘をさし、鋭い眼差しを向ければ、男は一時怯んだ。

「き、き、き…貴様こそ、俺様が誰か分かってやってる狼藉か!!」

「そりゃ、こっちの台詞よ!! ここにいるのは、真田幸村、貴方の上司の更に上司の…もっと上だっけ?」

 役職についてはいまいち疎いとが途中で問いかければ、幸村は簡潔に「かなり上です」と答えた。
その言葉を受けて、男はと幸村を交互に見やった。
酔っている男でもじっくりと見れば幸村の着ている着物に六文銭の文様が刻まれているのがはっきりと分かった。
頭に上っていた熱が急速に冷えたのか、身震いしだす男に対して、は言った。

「いい? 言っとくけど、今ここで土下座して「ごめんなさい」と言っても、許さないわ。
 「ごめんなさい」で済んだら警吏はいらないの。そもそもあんたはその警吏でしょ?
 考える頭があるんだし、自分のしてる事の責任の重さくらい、考えた上でやっていた事よね?
 魔が射したとか、酔っていたとか、そんな言い訳は聞かない。やってしまったことが全てよ。
 と言う事は、その責任はきっちり、取らせるわ」

 恫喝されるのならばまだしも、淡々とは説く。
その際に見せるの眼差しは冷徹であった。
 やぶれかぶれで暴れて、逃げ出してもいいのかもしれない。
けれども、自分に向けて突き付けられている暖簾の切っ先は、きっと彼が行動を起こす前に、彼の喉仏を突き破るだろう。そう分かるから、男は息を呑み続けた。

「警吏は皆を護るための公正な仕事よ。
 そこに身を置いた者である以上、貴方がして来たことは許されざる事だわ。

 このおじさんに非がない以上、どんな申し開きも許されないことよ」

「し、しかし、そ奴は商人、わしは侍で…」

「だからなんだってのよ?! 警吏になっといて、弱者を護れず昼日中から酒に溺れて好き放題してるような奴が、
 偉そうに侍を名乗るなんて、片腹痛い!!」

 が一喝する。

「よく聞きなさい、それから町の人も。
 今までがどうだったかなんて知らないわ、でも新しい君主様の統治の下では、こんな無体は許されない!!
 悪い事をした者には、相応の罰を与える!! …と、警吏系総責任者・真田幸村さんは言っています」

「えっ?!」

 やりたい放題やっておきながら、肝心な所では矛先を幸村へと向けた。
当然全員の視線が幸村へと向く。
彼の前に出たは、あたかも水戸黄門を護る助さん・格さんのように弁舌を奮った。

「今までは酷い目に合ったのかもしれない。報われない思いをしたのかもしれない。
 でも、それは昨日までの話よ。君主が変われば、お上の考え方も変わるものよ。
 この国はね、皆でいい国にするのよ。その為の努力を邪魔するというのであれば、
 例えお上に身を置いている者であろうとも、例外はない!! 絶対に、許さない!!
 と、そう幸村さんは言っています」

「え゛…あ、はい。…異論はございませぬ」

 言っている事は正論なのだが、何故自分に全ての矛先を振るのだうか? との疑問が絶えない。
けれどもの弁舌は、まだ終わりはしなかった。

「皆の意識が、国を作る。国を変えるには、お上は勿論皆の認識を変えなくてはならない。
 昨日までは虐げられていたのかもしれない、けれど、もう大丈夫!! 諦めることなんかない!!
 悪い事は悪いと言って、きちんと撲滅する意識を、皆も持つのよ!! と、幸村さんは言っています」

「あ、は、はぁ…そうですね。意識改革は大事ですね」

 まるで選挙前の政治家の様な熱弁だ。
の声に惹かれ始めたのか、店の中に逃げていたはずの老人達が、軒先の柱の陰に隠れていた女達と子供が、そろそろと進み出て来た。

「民よ!! 諦めるな!! 明日のよりよい生活は、皆で作る!!
 貴方方の生活は、ここにいる真田幸村が護ってくれる!!
 だから安心して、これからはお上を頼ってねー!! と、幸村さんは言っています」

 が拳を突き上げて弁舌を締めれば、どこからともなく歓声と拍手が上がった。

「ありがとう!! みんな、理解してくれて、ありがとうー!!」

 

 

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