真田幸村の胃潰瘍になりそうです

 

 

 両手を上げて向けられる声援と拍手に応えていたは、一通り応えた後で視線を警吏の男へと向けた。

「警吏でありながら、お上の威を借りて好き放題していた貴方の罪はとても重い。
 何故なら貴方のような一部の悪人が、人々の信頼を裏切り、正義の権威を失墜させてしまうからよ。
 本来ならば打ち首獄門くらいの見せしめでもいいしょう。でも、人の命は尊い。
 死んでしまっては、やり直す事も出来ない。貴方にやり直す気持ちがあるのならば、そこにお座りなさい」

 逃れらるのであれば、なんでもするとでも思ったのだろうか。
おずおずと腰を落とした男の前で、は拳を再び天へと突き上げた。

「空を見よ、罪深き者よ。この一撃を持って、罪を身に刻み、お前がして来た事の重さ、痛みを思い知れ。
 そして、悔い改めるのよ」

 言われるまま男が空を見た。
とてつもなく奇妙な光景ではある。
が、本当に悪を働いた者を罰してくれるのかと、期待と不安に塗れた視線で人々は事の顛末を見守る。

『じ…自由…奔放過ぎる…』

 前例のない弁舌を奮い、女の身でありながら、時として平然と暴漢を殴り飛ばす。
そして今彼女は、人目も気にせずに往来で着物の裾を乱しながら、駆けて行く。

『これは…いくらなんでも…』

 どう諌めよう、どう説こうと考えれば考えるほど、脳の中で探していた言葉は全て霧散した。
無理もない。の行動力に茫然とし続ける幸村の視線の向こう側で、往来に正座していた男と、彼に向って駆けてゆくの姿が重なる。
 次の瞬間、轟いたのは悲鳴。

「グッハァァァァァ!!!!!!!!!!!!」

 正座してい男は吹っ飛び、喉元を押さえてその場で転げまわっている。
助走をつける事で威力を数倍アップさせた容赦のないラリアートを彼の喉元に食らわしたは、満足気に肩をぐるぐると回していた。

『く、君主自ら……か、かような場で……な、なんという事を…』

「それはそうと、あんた幸運ねぇ」

 軽く整理運動を終えたが、のたうつ男の肩の上へと手を置いた。
の第一声に周囲が「何を言い出すのか?」と目を丸くすれば、は指先で幸村を示し、しみじみと言った。

「今の私だから良かったけど、幸村さんがやったら、間違いなく首の骨が折れてたわよ?」

 それもそうなのだろうが…そこで納得してもいいのかどうかは微妙なところである。
けれども見守る人々を始め、やられた当人も何故かその一言で納得してしまっている。

「え…あの…えええ?!!」

「これに懲りたら、二度と悪い事するんじゃないわよ?
 一から出直して、真っ当に生きなさい……と、幸村さんは言っています」

 喉仏に刺す痛みで声が発せないのか、涙目になっている男はを見、それから幸村を見てぺこぺこと頭を下げた。
流石に往来で女にラリアートをかまされるという制裁は、精神的に堪えたようだった。
それに誰だか知らないが、自分に声をかけてくる女の言葉は、逐一尤もだった。
 自分とてかつては熱意に燃えていた。それが何時からか色褪せてしまった。
その原因は、お上にあると言い訳し、時に恨んで、くさってきたけれど、最終的にはそれらは全て自分が選んだ結末の一部でしかない。
 自分を殴打した女の目にはどういう根拠があるのか知れないが自信が満ち溢れている。
女は言った。命さえあればやり直す事が出来る、と。
本当にそうだろうか。まだ天は自分を見捨ててはいないのだろうか。
 悶々とする男を捨て置いて、はゆっくりと曲げていた上半身を起こした。

「はい、それじゃ、この一件はこれでおしまい。皆さんも普通の生活に戻った、戻った。
 それと、元警吏さん。あんたは早く次の仕事を見つけなさい。あんたが壊した店の備品とか、
 ボコボコにしたおじさんの治療費とか、全部あんたに請求行くからね? それと、慰謝料も。

 おじさんは後で城に来て思い出せるだけの被害額を申請しに来て。
 それでこの一件は許してやって下さいね」

 の言葉を聞いた店主は、厄介払いが出来ただけで充分だと目を輝かせていた。
信じられぬ事が起きていると言葉を失い、棒立ちになっている野次馬を一瞥したは、未だにその場に居続ける人々に向い、言った。

「皆、新しい警吏の総責任者・真田幸村をどうぞ宜しくー!!」

「お、おー!!」

 なんだかよくは分からないが、今度の警吏主任は本当に信じるに値する者なのかもしれないと集まっていた人々が期待に満ちた眼差しで幸村を見やれば、幸村は顔面を真っ赤にして暖簾を放り出した。
 颯爽と駆けだした彼はの手を掴むと、逃げ出すようにその場を後にした。

「お忙しい方なんじゃろうなぁ…」

「有り難や、有り難や…このような事に自ら出向いて下さるとは…」

 あの展開で、直後の猛ダッシュだ。決してそういう事ではないだろう。
だが細かな事情を知るはずもない人々は、口々にお角違いな感想を漏らした。
そんな人々の思いになど頓着している余裕はないのか、幸村はの事を連れて一目散に城へと戻った。
有無も言わさずにを執務室へと引っ張り込んで着席させて、その前へと腰を落とす。

「ン? ン? ン?」

 すぅと息を吸う幸村の前でが目を瞬かせると同時に、

「一体、なんという事をしているのですかー!!!!」

 城から幸村の絶叫が轟いた。
屋根瓦がぶっ飛びそうな勢いだった。
 耳鳴りが起きたのか、が己の耳を押さえれば、幸村は必死な形相で訴えた。

様、お見事な采配ではございました!!
 ですが、あのような場に自ら出向くなど言語道断です!! しかも自ら仲裁されるなど!!
 相手は酔っぱらい、あまつさえ帯刀している武士なのですよ?! お怪我でもされたらどうされるのですっ?!」

「ああ、それ考えてなかった。幸村さんが一緒だし、平気かなーって思ってて…」

 名君なのか、それとも能天気なのか。
のほほんと答えるの感覚について行けず、幸村は頭を抱えてしまう。

「そもそも…何故私の名を強調されるですか。
 あれでは私がやらせて場を収めたように見えてしまうではないですか」

「いいじゃん別に、それで」

「良くはございませぬ!! 私は様の臣なのですよ!? 誉れを受けるべきは様でなくてはなりませぬ」

「そうは言うけど、結局のところ幸村さんが警吏の総責任者でしょ。問題ないじゃん」

「それはそうなのですが…いえ、やはりですね、こう言う場合は様のお名前を出された方が…」

「だから、それは最終手段でいいじゃん。幸村さんの名前が通用しないような奴が相手の時でいいよ。
 ああいう手合いは、雲の上の人よりももしかしたら関わり合い持っちゃうかも〜って人に
 シメられた方が効くんだって」

「は、はぁ……確かにそうかもしれませんが…」

「第一、最初に言ったでしょ? 幸村さんにも責任を取ってもらう、って」

「は、はい…え、もしかしてあれがですか?!」

「うん。矢面に立ってもらったわけだしね。明日からきっと色々と泣きつかれると思うよ。頑張って処理してね」

 にこにこ笑顔で言われて幸村が言葉を失えば、はふと何かに気がついたように立ち上がった。

「と、ごめん、幸村さん。私、そろそろ行かなくちゃ」

「え? 何か、御用が…」

 後を追おうとした幸村に対して、は簡潔に答えた。

「早く布団取り込まないと冷え切っちゃう!! 続きはまた今夜、ごはんの時にね!!」

「布団? 布団って…エエエエッ?! ま、またご自分で干されたのですかーっ?!」

 仰天し続ける幸村の問いかけに答える声は、もうなかった。

 

 

 その夜。幸村が皆が揃う夕食の場に現れることはなかった。
が言った通りの事が起きて、城下町を警吏や警備兵とともに駆け回らなくてはならなくなったのだ。
内容は長屋に住む夫婦喧嘩の仲裁から押し込み強盗の検挙までと多岐に渡る。

「今回の君主はよく分からんが、幸村様は凄いぞ。儂らの味方じゃ」

 幸村だからこそ、だろうか。
願われれば断ることが出来ず、生真面目に取り組み解決する。
その真摯な姿勢に心打たれた者が多いのか、あまり嬉しい事ではないが番屋は常に人だかりが出来ていた。
 不思議な事もあったもので、あの腐っていた酔っぱらい警吏は、今となっては岡っ引きに身を落としていながらも、充実した面持ちで悪を撲滅するべく、町中を駆け回っている。

「悔い改める気持ちがあるのであれば、そこに座り、天を見よ。
 そしてこの一撃を持って己の罪を身に刻み、悔い改めるのだ」

 きっと最初にやり出したのは彼だろう。
城下町での初犯の者への仕置きは、どういうわけなのかがやったラリアートである事が多かった。

「グハァ!!!」

 のたうつチンピラの肩を叩き、彼はがしたようにこんこんと諭した。

「良かったな、お主にはまだ見込みがある。
 我らが主、真田幸村様が今のをやれば、お主の首は折れていただろう」

 まんま、が言った事と同じだ。
だが名前の持つ効力というのは凄まじいようだ。

 "真田幸村にやられたら即死する。幸村にされなかっただけ、自分は運がいい。
 まだやり直す機会が残されているのだから"

 という根拠があるんだか、ないんだかが微妙な話を美談にしてしまうのだから。

時に実感のない恐怖は、人を容易に改心させるきっかけになりえるらしい。実に怖るは、刷り込み現象だ。

「こら!! ちゃんと言う事を聞きなさい!! 悪いことしてると、幸村様がくるよ!!」

「ご、ごめんなさい!!」

 古来、蜀漢・曹魏・孫呉と呼ばれる異国が大陸で覇を争った時代。「遼、来々」という言葉があった。
分かりやすく解説するならば「泣いている子供も張遼の名を聞けば黙る」というところだ。
今や城下町では幸村の名は、その「遼、来々」と同意だった。

「…すっかり人気者だねぇ」

「誰も彼もが私の名を使ってるんです」

 がっくりと肩を落とす幸村の隣を歩くのは慶次だ。
慶次は前日に頼まれた米の処分法についての渡りをつけてきたところで、幸村は早朝から駆け回り通しで四件のトラブルを解決してきた帰り道だった。

「まぁ、いいじゃないか。あちこちで治安が良くなってきてるって聞いてるぜ」

「それは、そうなのですが…あれが、どうにも…」

 幸村が視線を流せば、至る所で岡っ引から城の警備兵まで幅広く、誰かを仕置きせねばならぬ者があのラリアートの刑をやっている。

「んー、ありゃ、確かに男には辛いねぇ。大抵、数日は喋れなくなるからな。
 命は奪わないが、嫌でも記憶には残る。なかなか面白い刑罰だ」

「ええ、まぁ…それはそうなんですけど…」

「"真田幸村にされなくて幸運だった"が引っかかるのかい?」

「はい。元々私はしませんし、あんな事」

「ま、それがいいんだろうな。幸村さんがしない分、周りは勝手に想像を膨らませる。
 結果、幸村さんからだけは食らわないようにしなきゃならない…って思いますからねぇ」

 肩を落として歩く幸村の肩の上に掌がのった。
顔を上げればそこにいたのは左近で、彼の後方に呉服問屋の番頭の姿があった。

「左近殿、どちらに?」

「そろそろ姫の着替えが必要かと思ってね。仕入れて来たんですよ」

「ああ、そうでしたか」

「ところで姫、知りませんかね? お二方」

「…ハイ?」

 目を丸くした幸村に左近は苦笑いを貼り付けた顔で言った。

「誰が、何ですって??」

「いやね、寸法を測る必要があるんで、呉服問屋までは一緒に出掛けたんですよ。
 でも、気がついたら姿が見えなくてね。
 番頭の話じゃ、出掛けに幸村さんの名が出てたってんで、あんたんとこに行ったのかと思ったんだが…」

「今日はまだお会いしておりません!!」

 心配がそうさせるのか、顔面蒼白になる幸村に左近は「そうみたいだな」と顔を顰める。

「こうしてはおられぬ、探さなくては!! お二人とも、失礼します!!」

「おー、頑張んなよー」

 踵を返して駆け出した幸村を見送り慶次と左近は同時に笑った。

「過保護な御仁だねぇ」

「まぁ、お陰で姫の首に鈴つける手間が省けてこっちは助かってますけどね」

「悔い改めなさい!!」

 再び歩き出そうとしたところで、二人は通りの向こうでの声を耳にして視線を巡らせた。
すると豪快なラリアートで三人の若者を、岡っ引きと一緒にシメているの姿が目に入った。

「ほー、あれが今巷で有名な刑罰ですかい」

「運がいいねぇ、現場を見れるとは」

 淡々と感想を述べる左近、慶次の前を、戻って来た幸村がものすごい速さで駆け抜けて行く。

様ー!! 何なさってるんですかーっ!!!」

「…大変だねぇ…」

「あ。幸村さん? エ?! 何?! 城に戻るの?!
 でもまだ決まり文句が…あ、ちょっと、押さないで、押さないで…。

 え、えーと、岡っ引きさん、例の台詞よーろーしーくー」

 遠のいて行くの声を聞き、土煙を上げて去って行く幸村の後ろ姿から視線を動かす。
のたうつ面々を見やれば、引き継いだ岡っ引きが例の決め台詞を展開している最中だった。

「良かったな、幸村様にされていたら、首の骨が折れていたぞ」

「……いやー……面白いねぇ」

「多少活発過ぎる気もするが、うじうじされてるよりゃ、いいかね」

 自分の名を使われていない二人は幸村の抱えた心労などどこ吹く風という顔だった。

 

 

- 目次 -