前田慶次の勝てない人

 

 

 その後、兼続の助言は悲しいくらいに役に立たない事が分かった。
無自覚の人間関係デストロイヤーである三成は、が無視を決め込もうとしても、それを許しはしなかった。
政務で執務室を訪れては横からあれこれと口を出し、時にさりげない一言での神経を逆撫でし、心を抉った。
その度には耐えに耐えて、時に言い返し、返り討ちに合い……結果、米俵君一号・二号に八当たりを繰り返した。
 そんな日々が延々と続いたものだから、見物し続けなくてはならない慶次の中に芽生えたモヤモヤした感情も行き場を失い、捌け口を探し始める状態だった。
 ただ慶次はあのガタイだ。自分が真剣に暴れられる相手や場所など、そうはない事を知っている。
戦でもあればいいのだろが、万年平和主義の君主の下ではなかなかそうした機会にも恵まれない。
その為に鬱積を爆発させたくてもさせられる場所がない。

「どうじゃ、慶次!! たまには花町にでも繰り出すか!?」

「いや、いい」

「そういわず、たまには飲みましょうや」

「あー、んー、やっぱいい。何、気が乗らないだけさ。あんたらだけで行ってきな」

 なんとなく空気を察した秀吉や左近が花町に行ってみるのはどうかと取り成したが、それも不発に終わった。
無理もない。元はと言えば、慶次がをを恋い慕っているからこそ生じる鬱積なのだ。
花町で一時的に解放してきたところで、それは虚しい錯覚でしかない。
元の問題が片付いていない以上、城に戻れば、残酷な現実だけが待っているのは誰の目にも明らかだ。
 数日間は鍛練や遠駆けである程度鬱積を晴らしていた慶次だったが、と三成の一方通行な言論戦争が十日にも及ぶと流石に嫌気がさしたようで、抱えた鬱積をそのまま行動に出すようになった。
 の護衛として傍に常にいたはずなのに、自らと距離を置くようになったのだ。

「あれだけキレてりゃ、俺が駆けつけるまで自力でどうにかするだろ」

 そう言った慶次は、内勤勢の制止を振り切り、街へと降りて好き勝手に過ごし始めた。

様…!! 慶次殿が!!」

「おのれ、ツンデレーッ! なんなのよ、あの態度!!
 大体秀吉様には敬語で私にはタメ口ってどういう料簡よッ?!

 秀吉様ならいいってかっ!! 秀吉様以外は主とは認めねぇってかっ!! ムキーィッ!!」

「どうしよう…聞いてくれない…」

 出て行く慶次を止める事は出来ず、かといって目の前で暴れるを一人にも出来ず、止める事も出来ない。
内勤勢の中でも穏健派にあたる片倉小十郎と竹中半兵衛は、胃を押さえると、その場にずるずると膝をついた。

「…あれ、慶次さんは?」

 きっかり半刻、小十郎と半兵衛を巻き込んで、は暴れに暴れた。
ようやく我に返ったが問いかけたところで、小十郎は小さくなりながら言った。

「ええと、その…街へ…」

「え。職務放棄? まぁ、慶次さんらしいっていえば、そうだけど……。
 まー、慶次さんの事だし、誰か半殺しにする事はあっても、される事はないだろうから、大丈夫かな。
 さてと、私は、仕事に戻るかな」

 平和ボケしているのが丸分かりな感想を漏らすに、小十郎と半兵衛は眩暈を覚えて、己の目元を覆った。
 こうした変化が現れたのだから、少しは配慮しなくてはならないはずだった。
だが単純思考のには、その変化に気が付けるだけの冷静さはないようで、状況は更に悪化し続けた。

「キーーーー!! 玉子って何よ、玉子って!!」

 よれよれになってゆく米俵君二号を前に、小十郎、半兵衛、家康は目頭を覆い肩で息を吐く。
因みに一号はとっくにお釈迦だ。

「すみませんなぁ…」

「ほんに、申し訳ない…」

「いやいや、仕方あるまいて」

 被害者となった三人は互いを労いながら頭を抱える。
彼らとてどうにかしようと考え、時には口添えしようと思ったのだ。
だがそれはが自力でどうにかすると豪語して止めてしまった。
君主自らそう言った以上、家臣たる者が安易に口を挟むわけにもゆかず、彼らは悶々とするばかりだ。

「せめて慶次殿の方を…」

「その事なんですが…昨日はついに城に戻らなかったそうで…」

「なんとっ!!」

 家の守護神も言うべき男が、こんな事で野に下ったらどうしようかと、家康は目を丸くする。

「ああ、でも戻らなくて正解やもしれません」

「何故ですかな?」

「慶次殿がいないせいか、三成殿も様を一人には出来ないと、秀吉殿と共にちょこちょこ顔を出されるのですよ」

「ですがその度に様はあの調子に…」

「そのせいか、最近では城内でも色々と噂になり始めたようで…」

「噂…ですか。して、どのようなっ?!」

「"狐が姫に取り入り、虎を遠ざけた"と」

「事情が事情ですから今慶次殿が戻れば、様を巡って三成殿と殿中で抜刀沙汰になり兼ねないやもしれません」

「おお、何という事だ…!! これはいかん、どうしてもお諌めせねばッ!!」

 小十郎と半兵衛からあれやこれやと聞かされた家康は、意を決してキレて暴れまくるの前へと進み出た。

様、家康の話を聞いて下され!!」

「え、何?! どうかしました?」

 米俵君二号の首を絞めていたが我に返って目を瞬かせる。
泣き落しばりの説教を始める家康と、彼の前に座って耳を傾けてはいるものの肝心な事は何一つ分かっていない
そんな二人を見守らねばならない小十郎と半兵衛は、二人で同時に再び胃を押さえた。

「…う…うぅ……だ、だめだ………い、胃が…」

 

 

 こってり二時間、家康に泣き落されたは、そこで初めて自分が犯したミスについての微かなヒントを掴んだ。
ただ問題だったのは、根本にある慶次の感情の在り様に気が付けなかったことだ。
周囲の暗黙の了解としては、ただの嫉妬、独占欲のそれだが、それは言ってみれば当人同士の問題でもある。
ましてと慶次は主従であって、両思いの仲でもなんでもない。
更には間の悪い事に、城内には慶次と同じ思いをしている恋敵達がいる。
余計な口出しをして、そちらへ飛び火させるわけにもゆくまい。
 それだけに、肝心な部分をぼかして話すしかない。となれば、こうなるのは当然だった。

「…どうしよう、家康様の言たいこと、全ッッッッ然、分かんない。分かる?」

 思考の壁に行き着いたは、よりにもよってその話を、慶次、三成の共通の恋敵である左近・幸村へと振った。
二人は引き攣り、「こればかりは助言のしようがない」と白旗を振るばかりだった。
 彼らの反応から、これは自力で解決しなくてはならない事だと判じたは一人で考え始めた。
今度は三成の事は棚上げで、慶次の事ばかりだ。
その姿さえ見れば、慶次だって安堵したはず。抱えた鬱積などすぐに晴らせたはずだ。
だが肝心の慶次は、城を離れて在野で好き勝手に時間を過ごすばかりで、城に戻る気配がなかった。
その日どこにいるのかを知らせて来てはいるから、野に下るというわけではないようだが、これでは解決には程遠い。
 こうなってみて初めては慶次との間に大きな距離が出来ていた事に気がついた。
打開策の見出せぬ現実に直面したは大層落ち込み、次の瞬間には全ての責任を三成へと転嫁した。
 肝心な部分が見えない為に、順を追って考えるうちに思考がそっちへと流れてしまったのだ。
これでは何時まで経っても解決は見込めないと踏んだ兼続は、改めての元を訪ねた。
彼としては、自分が甘く見ていた事もあり、少なからず責任を感じているようだった。

「しばし任で城を離れるが、その前に一つ、私が助言をしよう」

 兼続の言葉に、は素直に耳を傾けた。

「例えばの話だ。ある日、ある人が子猫を拾った。
 その子猫は生まれたばかりの頃、野道に捨てられていた猫だ。

 拾った日、猫は懸命に鳴いていた。親を求め、餌を求め、寒さに耐えて、救いの手を求めて鳴き続けていたのだ」

 感受性が強いのだろう。心配そうな顔をするの前で兼続は安心させようと柔らかく微笑む。

「拾った者はその弱った子猫を親身になって看病し、回復した後も大切に飼った。
 飼い主と子猫との生活は、慎ましくても和やかなものだった。子猫は幸せだったのだ」

「うんうん」

 想像しているのか、は穏やかな笑みを浮かべて何度か相槌を打った。

「だが、その幸せは長くは続かなかった」

「どうして?」

「飼い主が新たに子狐を一匹拾ってくる」

「仲間が増えるのね」

「ああ。子猫はそのつもりだった。けれど、そう悠長にも構えていられない事がすぐに分かった。
 怪我をしているからか、それとも単に情が移ったのか、飼い主は子狐ばかりを構う。
 子猫の事はほったらかしだ」

 兼続は、そこで熟考させる為に敢えて言葉を止めた。
耳を傾けていたがほんの少し、寂しそうな、困ったような顔をした。

「それって、なんかちょっと…寂しいね……。捨てられちゃったの??」

「いや、ちゃんと世話はする。けれど、以前ほど親身になって構わない」

「そ、そう」

「ところで、もしもの話だが」

「ん、何?」

殿がその子猫の立場なら、どうする?」

 首を傾げるに向い、兼続は淡々と問いかけた。

「どうって……そりゃやっぱり、平等に扱ってほしいし…」

「そうだな、平等でなくてはな。
 如何に大らかな者であっても、目に見えて袖なくされれば、不安になるものだ。そうだろう?」

「大らかな、者?」

 子猫の話から突然話が飛んだ事に気がついて、は困惑に顔を歪める。
すると兼続は見守るような温かい眼差しをへと向けた。

「先にも言った通り、これは例え話だ。殿が今向かい合わねばならぬのは、飢えた虎というところだな」

 "虎"と表現されて、はぴんと来たように目を見張った。
兼続は無言のまま頷いてから身を引く。

「良く、考えるといい。答えはきっと見つかる。
 そして殿ならば、取り戻す事も簡単だろう」

 部屋を出た兼続の背を見送ったは、文机の上へと肘をついて掌に己の顔を乗せると、思いを巡らせ始めた。

 

姫side  慶次side

 

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